僕が確かに殺したその人は、昨夜は何も無い退屈な夜だったかのようないつも通りの笑顔で、さも自分がここに存在するのが当然なように、僕の顔を覗き込んでこう言った。
「まあ、多分。私は君がボルデナウと呼ぶ者で間違いは無いよ」
僕は当然、それを受け入れるまでに時間が掛かった。むしろこの場合、すんなりと受け入れられるほうが理解出来ない。誰だって、死んだはずの――ましてや自ら手を下して殺したはずの人間が生きているのを自分の目で確認した時ほど、自分の目が異常だと思いたくなるだろう。そう信じたい。
けれど、この場合はどうしたら良いだろう。僕を覗き込む彼の目には、確かに驚愕の表情を浮かべるアイルランド系ドイツ人の顔が映っているのに、その彼はそれを不思議そうな眼差しで見ているのだ!
とりあえず、僕はもう一度、彼に問い質した。
「本当に、あなたはボルデナウ卿なんですか?」
「うん」
ボルデナウ卿は穏やかな笑顔のまま、椅子ごと床に横たわっている僕を手錠を両手足に掛けた状態のまま助け起こす。
「本当に?」
「そう言ってるでしょ」
「だって、あなたは僕が殺したはずだ!」
まだ万全ではない状態の喉で叫んで、咳き込んだ。ボルデナウ卿が笑顔をす、と引っ込める。
「ああ、確かにあれは普通ならば即死だったろうね」
ボルデナウ卿が、僕が銃弾を打ち込んだであろう額に触れる。僕は重ねて問う。
「では何で――?!」
死んでないんですか、と言おうとして、ボルデナウ卿が制止のサインを出した。
「そんなに慌てて喋ると、また噎せるよ」
言われて、僕は渋々黙る。ボルデナウ卿が一瞬だけにこりと笑った。
「簡単だよ、君が寝ている間に治癒したんだ。我ながら大した自然治癒力だ」
「んな馬鹿な」
ボルデナウ卿の自嘲じみた言葉に、僕は反論する。
「あなただって、今言ったでしょう? 『普通ならば即死だった』と! なのに――」
「愚問だな、シュミット」
僕の質問という名の紙に差し入れられた彼のペーパーナイフは、あまりにも鋭利だった。僕は心臓を掴まれたようにゾッとする。
「自分で『普通ならば』と言っておいて、それを無視するのは良くないよ」
首を伝う冷や汗が、突き付けられたペーパーナイフのようだ。それがボルデナウ卿の言葉に共鳴して、僕に見たくないものを「見ろ」と脅してくる。ボルデナウ卿はいつもの笑顔とは全く違う、どうしても作り笑いと分かる表情で僕を見た。
――僕だって、何となく不思議に思ってはいたんだ。それが今までハッキリとこの手に掴めなかっただけで。
目の前ではボルデナウ卿が相変わらず、笑顔という仮面を被ってこちらを見ている。僕は、その仮面を見て問うた。
「ボルデナウ卿、幾つか質問があるのですが」
「なあに?」
大人の子供向け口調で、ボルデナウ卿が答えた。僕はそのいけ好かない仮面を剥ぐつもりで訊ねる。
「何故あなたは、通常なら即死するはずの一撃を、一日どころか半日も経たずに自然治癒してしまえるんですか? 何故、あなたは――いえ」
ボルデナウ卿や、他の〝地下室〟の住人達の今までの言葉を思い出し、僕は前言を訂正する。
「何故、あなた達は現代に蘇らせられたのですか? そして何故、〝過去の偉人〟とか称して、この国はこんな奇妙な人々を創ってしまったのですか?」
ボルデナウ卿がふ、と笑う。仮面の笑みではない。むしろ仮面を外したようだった。
「それ――その質問は、もっと早く訊くべきだったよ」
待ちぼうけを喰らっていたかのような口振りだ。
「あなたにですか」
「ここの皆に。誰でも」
そう言って、ボルデナウ卿は腕を組み、近くの壁に寄りかかった。目を閉じ、深呼吸する。
「――さて、どこから話そうか」
再び開かれた瞳は、僕が今まで見たことの無い表情を含んで、僕の後ろにある何かを見据えていた。僕は首と目線とをぐるりと限界まで回して、それを見ようとしたが、当然見えたのは薄汚れて水漏れの痕を残したコンクリートの壁だけだった。
――彼には何が見えているのだろうか。
ボルデナウ卿のほうに目を戻す。彼は嘲笑と憂鬱、そして悲哀の入り交じった表情をしている。僕は言い放つ。
「話してください、ボルデナウ卿――あなた達は何者なのですか、ここは何なのですか?!」
「ああ。話すよ、アルベルト・シュミット――ぼくらと、ぼくらに成り損ねた私達の昔話を」
言って、ボルデナウ卿は話し始めた。
もう、何年前のことになるかな……世界大戦が終わる前だから、もう六十年前かそこらになるのかな?
ぼくに最初にあったのは痛みだった。
身体中がちくちくと針に刺されるように痛んで、瞼の裏に星が散ったのを覚えている。その感覚が段々と強くなっていって、最後の止めに左脛の痛みが心臓を刺した。それに驚いて、目を開けた――それが最初。
見えたのは天井だった。私達が今棲んでいる、この〝地下室〟みたいな。頭と目を動かして周囲を見ると、水漏れは無かったけれど――コンクリート打ち放しの壁に、申し訳程度にペンキか何かを塗ってあった。息を吸うと、肺がさっきみたいな針で刺すような痛みが襲うのと一緒に、消毒液の臭いが鼻を刺した。そこの部屋には沢山のわけの分からない機械と、それと同じくらいわけの分からない薬品の容器の山。次いで目に入ったのは、白衣にマスクと手袋と眼鏡とかを着けた――例えるならドラマに出てくる医者とか研究者ってところか――人だ。
その研究者だか医者だかは、ぼくが上体を起こすのを見ると、悲鳴というか――動物園に居る猿の遠吠えみたいな声を上げて、座っていた椅子を跳ね飛ばして、慌てた様子で部屋を飛び出していったよ。ぼくはその時寝ぼけていたような感覚がしていてよく分からなかったんだけど、きっと嬉しかったんだろうね。すぐに上司を呼んできた。
「ああ、良かった! 身体の調子はどうです?! どこか痛むところは?!」
その研究者の上司も、部下に負けず劣らず緊張していて、声を時折裏返しながらぼくの身体をぱたぱた触っていた。でも未だ寝ぼけ眼で、曖昧にしか答えられなかった。それでも彼は、僕の答えを全て肯定と受け取ったみたいで、こっちの表情を見て、「ああ良かった! 良かった、本当に良かった!」と繰り返していた。でも、ぼくはそんな彼らを見ていて、わけが分からなかったけど、何故か安堵した気分になったよ。
そうして、研究者達が「良かった」を繰り返したり「総統閣下万歳!」とか言ったりして興奮をある程度覚ますと、先程の研究者達のリーダーがこんなことを訊いてきたんだ。
「失礼ですが、あなた様のお名前をお教えください」
ぼくは名前を訊かれて、初めて自分の名前をすんなり思い出せないことに気付いたよ。思い出そうとするとさっきみたいに頭がちくちくと痛むんだ。でもすぐに、痛みの向こうに自分の名前を見つけることが出来た。
「ところで」と、ボルデナウ卿は話を切って僕に質問を投げてきた。
「君は自分の名前をどういうふうに記憶してる?」
「え?」
この質問は今までの中で一番答えるのが難しい質問に思えた。どういうふうって、どういうふうだ?
「例えば――」
首を傾げる僕を見てヒントをくれそうなボルデナウ卿も、困った表情で両手を右往左往させている。
「映像で覚えてる? それとも文章?」
「映像か文章かで言ったら、文章ではないですか?」
「いや、文章は文章でも――うーん……?」
ボルデナウ卿は困り果てた様子で苦笑している。終いには、「まあいいや」と投げ出してしまった。
ぼくの場合は、脳裏に刻みつけられたそれが、洞窟の出口のまばゆい光が文字の形を成すように浮かんだんだ。
自分の名前は――
ぼくは浮かんだ名前を、書面でも読むかのように彼に名乗った。
「ぼくの名前は、ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト――ゲルハルト・ヨハン・ダーヴィト・フォン・シャルンホルストだ」
「え、ゲルハルト・フォン・シャルンホルスト?!」
「うん」
「――って、誰でしたっけ?」
僕の言葉に、ボルデナウ卿は話の腰を折られたようにこっちを見た。なんとなくボルデナウ卿のボロみたいな表情を出せたのは嬉しいが、なんだか自分でも話の筋を違えている気がする。
ボルデナウ卿は呆れた表情で僕を質す。
「君……歴史の授業は真面目に受けた?」
ボルデナウ卿の嘆きも十分に分かるが、ここは僕は言い訳するしかなかった。
「申し訳ないことに、大学入学前はずっとロンドンに居たので、覚えているのはイギリス史です」
ボルデナウ卿が頭を抱える。すごく申し訳無い気分だ。
ボルデナウ卿は溜息を着くと、「とにかく話を続けよう」と言った。
シュミットが、ぼくことシャルンホルストのことを知っているかは置いておいて。シャルンホルストはナポレオンがヨーロッパを席巻した時代に、未だ統一前のドイツをプロイセンから守るために働いた軍人だ。主な業績は、ぬるま湯に浸かり旧態依然となりつつあったプロイセン軍を改革したことにある。
「優れた参謀であり、実戦指揮官であったあなたに、ぜひこの状況を打破するためにご意見を戴きたいのです」
ぼくが――えっと……起き、じゃなくて……意識を戻す、でも違うな……まあ、仮に〝蘇生〟とでも言っておこう――、ぼくが〝蘇生〟して一週間後くらい経ってから研究者が連れて来た軍人は、ぼくを〝蘇生〟させた理由をそう言っていた。
ボルデナウ卿達――〝地下室の偉人〟達――は、蘇生したその時は祖国のために復活させられたということだろうか――とりあえず、本人達の意志は別として。
僕がそんなことを思っていると、僕がそんなに面白い顔でもしていたのか、ボルデナウ卿がくすくすと笑っていた。僕がムッとすると、ボルデナウ卿が言う。
「また難しいことでも考えていたのかい?」
「難しいかは知りませんが、その時は皆ドイツのために蘇生させられたんだなー、と」
「うん。まあ細かいことは抜きにすれば、皆そんなもんだよ」
「え、それって――」
「それもちゃんと言うよ」
僕に微笑みかけると、ボルデナウ卿は話を再開する。
ぼくは戦況がどうであれ、ドイツのためならとその軍人の言う通りにするつもりはあったよ。昔の友人達も同じように〝蘇生〟してきたしね。
アウグスト・ヴィルヘルム・アントニウス・ナイトハルト・フォン・グナイゼナウとカール・フィーリプ・ゴットリープ・フォン・クラウゼヴィッツ――君なら誰のことか分かるだろう?
「アウグスト・フォン・グナイゼナウがナイトハルト卿で、カール・フォン・クラウゼヴィッツがブリュールさんのことだろうな、というのは分かります」
僕の答えに、「そうだよ」とボルデナウ卿は満足そうに笑う。けど、僕は今の言葉に自分で違和感を覚えた。僕はそれをボルデナウ卿に問う。
「でも、ナイトハルト卿は良いとして、ブリュールさんはボルデナウ卿のことを〝先生〟って呼んでませんでしたっけ?」
ボルデナウ卿は「ああ……」と声を漏らすと、
「実際そうだったしね――士官学校の教授と学生だ。年齢も親子程も違うし。ナイトハルトとぼくだったら、あまり差は無いんだけど」
僕はその言葉に「ええっ?!」と驚愕する。ボルデナウ卿が「そんなに意外だった?」と苦笑した。
「意外です」
「なんで?」
僕はボルデナウ卿の問いに、きっぱりと答えた。
「だって、馴れ馴れしいじゃないですか!」
僕の言葉に、ボルデナウ卿の顔が綻び、笑い声が漏れる。笑いながら、ボルデナウ卿が言う。
「確かに――確かに! 馴れ馴れしいよね、あれ」
ふふふ、とひとしきり笑ってからボルデナウ卿は続きを話し始めた。ただ、笑い話の後だというのに、彼の顔から笑顔が急速に萎んでいったような気がした。
ただ、彼らと過ごしていて暫くすると、次第に互いに違和感を感じ始めた。
例えば、ぼくの記憶の中のグナイゼナウよりもアウグストは気が短くなったようだったし、フィーリプもぼくの記憶の中のクラウゼヴィッツよりも子供っぽかった。
かく言うぼくも、ぼくの記憶の中のシャルンホルストよりも寒さに敏感――というか、敏感どころじゃなくなっていた。
――変な目で見ないでよ、シュミット。私だって、これが異常だって分かるよ。
でも、こうやって厚着でもしないと、身体が言うことを聞かなくなってしまうんだ。となると、ぼくの居る地下壕は便利だ。地中はずっと温度が一定なんだから。快適な地中よりも環境が不安定な地上に出るなんて、ぼくには必要が無くなってしまったのさ。
そう語るボルデナウ卿の表情を見て、僕には他にもボルデナウ卿が地上へ出ない理由がある気がした。
けれどそれを訊ねるより先に、ボルデナウ卿が思い出したように「ああ、でも――」と僕の言葉を引っ込めた。
でも、ぼくとは違う理由で、他の二人も地上へ出ることを禁じられていたみたいだ。
ぼくが与えられた部屋に篭っていると、たびたび廊下でアウグストがあの研究者や軍人達に怒鳴り散らしているのが聞こえてきてね。彼の眉間から皺が消える瞬間なんて無くなってしまった。
それは何回も続いたし、それが起きるたびにフィーリプがびっくりして涙目になるんだ。混乱しかけて過呼吸になるなんてこともあったよ。だからアウグストに、何故そんなに怒鳴るのかを訊いた。そうしたら、「軍人達が一向に自分達を地上に出そうとしない」って言うじゃないか。
おかしいよね。ぼくらに協力を求める癖に、そのための情報提供をしようともしないんだ。それが作戦計画を練るにしても、ビジネスであろうとも、きっとスポーツであっても、現場の状況を把握するのが重要なんだということくらい基礎学校生だって分かる。
だからぼくもアウグストと一緒に軍人達のところに訊きに行ったんだ、「何故出してくれないのか」と。今度は「上の許可を得ていない」って返された。さすがにぼくも呆れたよ。仕方無いから、
「ならば、せめて出来るだけ戦況をもっと多く知らせてはくれないかな? ぼくらも祖国のために、出来るだけのことをしたいんだ。『この状況を打破するためにご意見を戴きたい』とだけ言われても、情報が回って来ないとぼくらだって何も出来ない」
と、その軍人達に伝えた。
「それ、どうなったんですか」
僕は話を聞いていて、せめてその時だけでも――今はどうあれ――国の役に立とうとした彼らが活躍出来たことを願った。ボルデナウ卿は笑っている。
「多少はね、情報が回って来るようになったよ」
――ああ、良かった!
僕は誰と言わず感謝する。けれど、すぐにボルデナウ卿の表情が変わるのが見えた。もちろん、暗いほうに。
「ああああああ! もう、何なんでしょうこれは!!」
机をばん、と叩いてフィーリプが叫んだのは、三人で顔を合わせて現在の戦況を見ていた時だ。今まで地図を見て落胆するのは何度かあったけど、我慢の限界だったんだろう。フィーリプは頭を抱え、俯き喚く。
「東からはロシア、西からはイギリスとフランスにおまけにアメリカが来ている。味方は既に降伏したイタリアに極東アジアの島国だけ!」
喚いて一息着くと、彼が小さく、
「プロイセンに――ドイツに多方面作戦は出来無い――いや、不可能。何で分からないんだ?!」
と嘆くのが聞こえた。フィーリプの言葉に、ぼくやアウグストも同意見だった。
そもそも、ドイツ――というよりも、ベルリンと言ったほうが正しいか――の地理的条件はこの現在の敵を防御するのに向いていない。天然の要害が全くと言っていいほど無いんだ。
この状況を解決するための方法はあることはあったが、あまりにも少なく、また屈辱的なものだった。
「それって――?」
「外交手段だよ」
僕の疑問に、ボルデナウ卿はすぐさま答えた。
「戦争を続けたいなら敵を減らすしかないわけだ。この場合、西か東か、どちらか一方の敵と講和すれば、少なくとも多方面ではなくなる。平和的だし、そんなに負担はかからなくなるでしょ」
――なるほど。
僕は納得するが、そう言うボルデナウ卿の表情は暗い。僕は、僕が習った歴史にそんな講和の話は出て来ないことに気付いた。ということは――
「その話、その軍人達には話したんですか?」
僕はボルデナウ卿に訊ねる。
「もちろん、話したよ」
ボルデナウ卿は暗い表情のまま答えた。
「そして黙殺されたし、情報もそれっきり回って来なくなった」
僕は、何故か心がずん、と重くなるのを感じた。心に引っ張られて俯くと、ボルデナウ卿が呟くのが聞こえた。
「その後すぐだったよ。ベルリンが敵に焼け野原にされたのと、東部戦線が全面的に敗退に追い込まれたのは」
そういえば、フリードリヒ大王のことをまだ言っていなかったね。ブリュールが『フリッツ陛下がフリードリヒ二世だ』ってこの前言っちゃったんだって? ならその説明は良いか。
ぼく達がフリードリヒ――ええと、もう面倒だしフリードリヒ陛下で良いね。皆には内緒にして? で、フリードリヒ陛下に出会ったのは、情報がぼくらのところに回って来なくなってすぐだった。
陛下が〝蘇生〟されたのはぼくらよりも後で、ベルリンが空襲に遭ったのより少し前らしい。地下壕の別の区画に居たということだったけど、移られて来られたと仰っていた。
陛下とは別の部屋だったけど、何度かお会いする機会があってね。そう、その何度目かにその話を聞いたんだ。
「聞いたかね、シャルンホルスト中将。父王と〝余〟の棺が軍の者達の手によって疎開させられているそうだ」
例の軍人達から何も情報が回って来ないせいで、事実上お役御免になって呆けていたぼくは、その情報に何故か興味を持ったんだよ。ぼくは陛下に訊ねた。
「〝陛下〟の棺が? それは本当なのですか?」
「分からぬ。余も兵達が話しているのを小耳に挟んだ程度なのだ」
陛下は首を横に振ってそうお答えになった。
「きみ達のところには情報は入って来てはいないのかね?」
このご質問には、ぼくはそれこそ首を横に振るしかない。
「お恥ずかしいことに、我らも全く情報を掴めておりません。祖国のために働けとはいえ、何の情報も来ないのです」
ぼくは無意識のうちに、体制への不満を、あろうことかフリードリヒ陛下の御前で漏らしていたんだ。
後々考えると、良くないことだったのではと思うけど、陛下は気にしていない様子で。それどころか、陛下は溜息を一つ着くと、とんでもないことを仰ったんだよ。
「その情報をもたらした兵達は、〝余〟の棺は今、この地下壕にあると言っていた」
「えっ?!」
ぼくは驚いた。まさか、陛下はそんな軍人達の根も葉もないうわさ話をお信じになるなんて、誰が思う? けれど陛下はそのまさかで、ぼくの気持ちをお察しになったらしい陛下は、こう仰ったんだ。
「余もこんな馬鹿な話は信じたくはない。だが、聞いてしまった以上、確かめなくては気が済まないのだ。シャルンホルスト中将、きみやきみの仲間達で、真偽を確かめてきてはくれないかね?」
フリードリヒ陛下は真剣だった。それにぼくらとしても、それにお応えしない訳にはいかない。ちょうど暇を持て余していたし、こんな独り善がりな体制には反感を覚えていたところだしね。アウグストやフィーリプもこれに反対はしなかった。
でも――実のところ、ぼくには不安があったんだ。なんとなく、真実を知ったら戻れないのではないかという気がしたよ。けれどそれ以上に、〝生前〟に軍人として経験した危機的状況などに比べたら、こちらのほうがだいぶマシだろうという、楽観的な部分が勝っていたのも事実だった。
「それで、どうしたんですか……?」
僕は口でそう言っておきながら、その先を聞くのが怖い気がした。ボルデナウ卿のように『真実を知ったら戻れないのでは』という考えが浮かんだわけではない。きっと逆だ。どう逆なのかは分からなかった。でもボルデナウ卿は、僕の気持ちも知らず、僕の質問に答えた。
「――見たよ」
彼の口から躊躇いがちに出た言葉に、僕は目を見張った。
「見たよ。棺はフリードリヒ・ヴィルヘルム陛下のものと、フリードリヒ陛下のものとが丁寧に安置されていた。二人共、自然の摂理と時間の経過通りのお姿で、その中で眠っておられたんだ」
僕は思わずその様を想像して、ゾッとした。
けれど、それを実際に見たボルデナウ卿や皆は、きっとそれ以上におぞましい気分だったに違いない。何故なら、これで幾つかの疑問点が証明、或いは浮上する。
――一つ。二人の王の棺は本物だった。
――一つ。以上のことにより、フリードリヒ陛下は本物ではないことを証明出来る。なら、『この』フリードリヒ陛下は誰?
――一つ。以上のことにより、他の三人――シャルンホルスト、アウグスト、フィーリプ――がフリードリヒ陛下と同様に本物ではないという、ほぼ確実な可能性が浮上。なら、『この』シャルンホルスト、アウグスト、フィーリプは誰?
自分達が偽者だという可能性に、彼らはどう思っただろう。『気持ち悪い』だとか『おぞましい』だとか、そんな言葉ではきっと足りない。
僕はボルデナウ卿のほうを見た。ボルデナウ卿は仮面みたいに、顔にぺったりと笑顔を貼り付けている。悪寒を感じながら、僕はボルデナウ卿に訊ねた。
「それは、報告したんですか……?」
「依頼された手前だからね」
ボルデナウ卿は違和感を全身から発しながら、笑顔で答える。
「ぼく自身も、いつもなら考えられないくらいに顔色を失っていたと思う。でも、それは陛下も同じだった。ぼくが報告すると、陛下はお顔をこちらに向けずに、変に冷静な声色で退室をお命じになった」
ボルデナウ卿の表情は恐ろしかった。恐ろしいまま、「そしたらね」と話し続ける。
「次に会った時、陛下の顔には激しく引っ掻いたような傷痕が出来ていた。……経緯は想像に難くなかったけど、それ以来陛下は鏡を見れなくなったと仰っていたよ。傷がみるみるうちに塞がっていくのを見てしまって、『こんな汚らしいものなど、見ていられぬ』、と」
フリードリヒ陛下――もといフリッツさんの顔に残った傷跡をなぞるように、ボルデナウ卿の指が動く。そんな彼の話は止まらない。
それから半年後――そう、今日みたいな夏の日、アウグストが拘束された。
なんでもその日、地上で体制反対派が大規模なクーデターを起こしたらしい。悪化の一途をたどるこの状況では、クーデターの一つや二つは起きてもしょうがないとしか思えなかったけど、何故アウグストまでもが拘束されたかは誰も当然説明してくれなかった。
「聞くところによると、クーデターの主犯がグナイゼナウ元帥の子孫筋にあたるようだ。主犯は既に銃殺されたが、体制の指導者は、今回のクーデターには特に厳しく対処すると言っている」
そう仰ったのはフリードリヒ陛下だった。
顔色は半年前よりもさらに物憂げに、そして厳しいものになっていたよ。
「『クーデターの主犯の一族は根絶やしにしなければならぬ』とも言っていたとも聞く。彼の一家は強制収容所へ連行されたり、ピアノ線による絞首刑に処せられた者もいるようだ」
しかし、アウグストがそんなことに与していないのは明らかだ。ずっとぼくらと共にこの地下壕にいたのだからね。それでも体制側は安心できないと見えた。
「あの、陛下。失礼ですが、そのような情報、何処から入ってくるのでしょうか?」
あまりに陛下が内部事情に詳しかったからか、話を聞いていたフィーリプが陛下に訊ねた。こんな時でもペースを崩さないフィーリプの態度は正直言って羨ましいが、逆に言えば空気を読めていない。でも陛下は、そんなフィーリプの無礼な質問にも、気にせずお答えくださった。
「その『体制の指導者』が、余の崇拝者らしい。自室に余の肖像画を飾り、この戦争が良い方向へ傾くように祈っているようだ。七年戦争の時分のようにね。多分それで余が〝蘇生〟させられたのだろう」
何とも馬鹿げた話だ、と陛下は付け加えた。
「ところで」と、ボルデナウ卿は話を切った。
「私はさっき、君に『自分の名前をどういうふうに記憶しているか』訊いたよね?」
「はい」
僕は結局、『映像か文章かで言ったら、文章』だと答えた。ボルデナウ卿は憂鬱そうな笑みを浮かべながら、再び同じような質問を投げてきた。
「君は、自分の思い出をどのように記憶してる?」
僕はとりあえず、自分にとって当たり障り無い思い出を適当に呼び出す。
まず出てきたのは、この前、ボルデナウ卿のおみやげにと、屋台で買ったカリーヴルストだ。良く焼けたヴルストと、それに掛かったケチャップとカレー粉。それらの美味しそうな匂い。自分では食べなかったけど、ボルデナウ卿は満面の笑みで、ケチャップも残さないように食べていたのが印象的だった。
そんな何気ない記憶が、映像として僕の脳内に再生された――映像。
「ぼくの記憶はね、全て文章だったよ」
そう話すボルデナウ卿の笑顔は悲しそうだった。
「もちろん、〝蘇生〟後の記憶は映像とともに鮮明に思い出せるけど、でも〝生前〟の記憶といえば資料のような文字情報しか分からないんだ」
話を戻そう。
ぼくらは「アウグストはクーデターとは無関係だ」と主張し続けたが、結局、アウグストは解放されなかった。
けれど、もちろん、諦めるわけは無かった。
「戦争は政治の手段であり、継続です」
フィーリプは言った。
「政治で取れないものは戦争で、相手を屈服させて取るしかない」
回りくどい表現だけど、平たく言えばクーデターだ。ぼくらはアウグストを力尽くで奪還するつもりだった。武器は地下壕の中に大量に運び込まれていたし、アウグストの居場所だって、軍人達はフリードリヒ陛下が相手なら重要なこともどんどん口外してくれたから、聞き出すのも容易かったからね。
でも、陛下には別の目的があったみたいだ。
決行のその時、陛下が意を決した面持ちで仰ったんだ。
「すまないが、銃を少し分けてはくれないかね?」
ぼくはいつもとは少し様子の違うフリードリヒ陛下に訊ねた。
「銃をお貸しするのは構いませんが、何をなさるおつもりですか?」
「きみ達に、以前、『〝体制の指導者〟が、余の崇拝者らしい』と言ったことがあったね?」
確かにアウグストが拘束された時に、陛下がそう仰ったのは覚えていたけど、陛下のお考えになっていることが、その時のぼくには分からなかった。
「『崇拝』というのは『信仰』と同義だ。余を『信仰』するということは、つまり『余が目指したものを自分で実現させようとしている』ということだと思うのだ。だが、この結果はきみ達も知っての通り、余の求めた結果ではない。ならば、余が――フリードリヒたる余が、自らその『体制の指導者』に引導を渡してやっても良いと考えたのだ」
この言葉に興奮した様子で割って入ったのはフィーリプだ。
「ならば! ならばわたくしにも共をさせてくださいませ!」
「フィーリプ」
ぼくは進み出るフィーリプを引き止めた。けれどフィーリプは止められても、自分を連れて行けと訴えたよ。ここまで半狂乱になったフィーリプを見たことは無かったと思う。
「陛下のお言葉通り、『体制の指導者』が陛下の『目指したものを自分で実現させようとしている』のならば、わたくしはその方法を与えてしまった張本人――言わば教祖です。責任はわたくしにもございます。ですから、わたくしにも――」
「クラウゼヴィッツ少将」
今度は陛下がフィーリプをお呼びになった。その時の陛下も今までに無く氷のように冷たいお声と眼差しで、それを見たフィーリプは、我に返ったのか、自分の声を引っ込めた。それを見たフリードリヒ陛下はフィーリプの肩を叩いて、
「きみは、シャルンホルスト中将と共にグナイゼナウ元帥を助けに行くのだ」
と厳命なされた。
「そして、ぼくがフリードリヒ陛下に一人分の武器を渡すと、陛下は地下壕の通路の向こうへ行ってしまわれたよ」
ボルデナウ卿はハリウッド映画の冒険譚のあらすじでも言って聞かせるみたいに明るく話すが、逆に僕はだんだんと明るく話すように努めるボルデナウ卿から目を逸らすようになっていった。まだ手足に手錠をされたままの僕には、座ったまま顔を俯かせるしかなかったけど。
そんな僕を見て、ボルデナウ卿は遊びにでも誘うかのように言う。
「どうしたの? 『ぼく』の物語もクライマックスなんだけど。君のために話しているのに、そんなに暗い顔しないでよ」
「そんなこと言われても! こんなに暗くて重いのに、それを明るく話す語り手が居て堪りますか!」
僕は訴えるが、ボルデナウ卿はまるで聞いていない。ピエロみたいに笑っている。
「だから言っているでしょう、クライマックスだって。もう少しだから聴いてよ」
アウグストが拘束されていたのは、強制収容所にあるようなガス室だった。既にベルリンには敵軍が迫っていて防衛に手一杯だったせいか、見張りは人っ子一人居なかったよ。
ぼく達二人は扉の鍵を無理矢理ぶち開けて押し入った。
アウグストは衰弱した様子で手錠で繋がれていてね。拘束されて以来、何も口にしていない様だった。
「アウグスト!」
ぼくはアウグストに駆け寄った。
「せん……せえ?」
そう呟くと彼は酷く咳き込んだ。声を出すのも久しぶりだったんだろうね。
ぼくはそこで、初めて冷静に部屋を見回した。土と煤とで薄汚れた、どこにでもありそうな――そう、ぼくが〝蘇生〟したあの部屋みたいなコンクリート打ち放しのガス室でね、ぼくらの他には隅に恐らく戦場かどこかの収容所で使われないままになっている満タンのままの薬品類の缶の山があった。
それを見て、ぼくはあることに思い至った。その時、ぼくを含め、正気である者はいなかった。でもきっと、皆あの時から正気であるはずがなかったんだ。
何て言うか――ぼくは興奮していた。やっとぼくらに追いついたフリードリヒ陛下は、もちろん部屋の構造と、ぼくの手が掴んだ薬品類の缶を見比べてから、ぼくにこうお訊ねになったんだ。
「中将、それで何をするつもりかね?」
ぼくはただこう答えた。
「――終わらせようと思います」
我ながら背筋の凍るような声だったと思うよ。
「――終わらせませんか?」
「後は簡単だった。ぼくら皆で部屋を密閉して、そこにあった缶を全部開けた」
僕は、当時強制収容所で使われていた薬品の代表格を思い出してゾッとした。恐る恐る、ボルデナウ卿に確認する。
「全部、開けたんですか――それを?」
「うん」
相変わらずの仮面みたいな笑顔で即答する。
「でも、君も知っての通り、それは失敗した。もう使う者もいないだろうからって、遠慮なく薬品の缶は空けたはずなんだけどね。気持ち悪くなって吐き気がするばかり、せいぜいが気絶するくらいだったし」
ぼくはそんなことを平気で言えるボルデナウ卿の笑顔に吐き気がした。
――なんでこの人は、こんなことを平気で言えるのだろう? 僕は半年前のことを思い出すだけでも辛いのに、なんで笑顔をぺったりと仮面みたいに貼り付けていられるんだろう?
そんなぼくに構わず、ボルデナウ卿は話を続ける。
「アメリカ軍がガスマスクを着けてそこに駆けつけたのは、全部の缶を空けて何週間か後だった。ぼくらは、普通の人間がガスマスクを着けないと死んでしまう濃度のガスの中を、何週間も放置されても生きていた訳さ。それで彼らも、ぼくらが普通じゃないということに気づいたのだろうね。彼らに地下室をより暮らしやすくし、自由に使用する権利を押し付けられた代わりに、 自分達の側に付くことを強要された。結局は何も変わらなかった訳だけど」
ボルデナウ卿は呆れたように肩を竦めるが、依然として表情は取り繕ったような笑顔のままだ。僕は言う。
「――権利は、自分で思えば突っぱねることが出来たはずです」
笑顔が描かれた仮面を着けたピエロに、僕は訊ねた。
「そんな窮屈な権利を受け入れてここに居続ける理由は何ですか?」
――違う! そんなことが訊きたいんじゃない!
僕の頭の片隅から自分の口と声への批判が飛ぶが、それを知らないピエロはそんなことはお構いなしだ。
「自らの手で引っ掻いても皮膚に傷も付けられず、大量虐殺に使用されていたガスでも死ねず、おまけに拳銃で脳髄をぶち抜いてもびくともしない私達が、どうすれば死ねるかを探すためだよ。……成果はご覧の通りだけれどね。普通に寿命で死ぬかと思ったけど、そうもいかなかったし」
ピエロはそう言うと、やっとまた憂鬱そうな表情を覗かせる。――正直なところ、僕にはもうその顔が、ただピエロの化粧に涙を描き加えたようにしか見えなかった。
「――君は昨夜、私を射殺した時に『死にたかったからここを辞めなかった』、『私達が死ねば自分が死ねる』と言った」
ボルデナウ卿が寄りかかっていた壁から背を離す。彼はコートのポケットから小さな鍵を取り出すと、僕の前に立った。彼を見上げる。
「あの時は少なくとも君は私を殺したのだから、あのまま目的を達成することも可能だったと思うんだ。あの部屋の奥の扉から、私達の私室に押し入ることも出来たのだし。それでもしなかった――あるいは出来なかった――のは、君に本当はその意志が無かったからじゃないかって、僕は推察するんだけど、どう?」
そのボルデナウ卿の質問には、僕は答えられない。代わりに目を逸らすようにしてうなだれる。ボルデナウ卿の溜息が頭上から零れ落ちてくる音が聞こえた。見上げる必要は無い。
ボルデナウ卿が、僕の両手首と両足首に掛けられていた手錠を外す。が、僕は久しぶりの自由の感触に素直に喜ぶことは出来なかった。彼の話と彼の指摘が僕の頭の中で反芻していて、それらを受け止めるのに必死で、僕は椅子にへたり込んでいる。
――皆も、いや皆は、現実を受け止めるのに必死だったんだ。
僕は今までのことを思い返す。
――僕は、『自分だって』と言い訳を付けて、実は考えが足りなかったんじゃないか? ――いや、確実に足りなかった。絶対に脳足らずの独りよがりな考えしか無かった!
さらに独りよがりで偽善的なことに、僕の目からわけの分からない水分が零れた。上からボルデナウ卿の言葉が降ってくる。
「何を考えているか知らないけど、私達に同情は要らないからね」
――知っています。
言葉にならずに、ただ口から大きく息が吐き出されただけだった。
――泣いていいのは僕じゃない。泣いていいのはあなた達だけだ。
僕の役立たずの口から出るのは余計な声と涎だけだ。
ボルデナウ卿が僕の前に立って、溜息混じりに僕を見下ろす。
「今日は帰って良いよ。ちょうど明日明後日は休みでしょう? ちゃんと家で休むようにね」
そう言って、ボルデナウ卿が踵を返すのが涙越しにぼんやりと見えた。僕は何か言葉を掛けなくてはと思って、まだボルデナウ卿が答え忘れている質問を思い出す。
「まって――」
服の袖で涎と涙を拭いながら叫んだそれは、声が詰まったせいで全体的に濁点が付いていた。ボルデナウ卿はもうドアノブに触ろうかというところに居る。僕は肺の全容量で以って、声帯に掛かった膜を跳ね飛ばす勢いで叫ぶ。
「待て、ボルデナウ卿ッ!」
ドアノブに静電気が走ったかのように、ノブがかたん、と鳴った。そちらを向くと、ボルデナウ卿がノブを握ってこちらを驚いた様子で見ている。
僕はぜえぜえと肩で息をしつつ、ボルデナウ卿に最後の質問を投げた。
「くどいようですが――結局、あなた達は何者なのですか?」
ボルデナウ卿はこちらを正面して立つと、また誤魔化すような苦笑を浮かべた。
「私達は、『ぼくら』に似せて創られた偽者――〝ニセ者〟だよ」
彼はそれだけ答えると、ドアの閉まる音だけ残して去って行った。