黒山羊塔

03:七年戦争史

 ルイーゼは変わり者である。

 ルイーゼは地元であるミュンヘンの街でもその美貌と才女っぷりで知られ、ギムナジウムに在籍していた頃から教師たちに将来を期待されていた。けれども、それと同時に彼女は両親や、それこそ教師達から白眼視される程の――そして、その卓越した成績でも埋め合わせの効かぬ程の――欠点を持ち合わせていた。

 そう、彼女は“ド”の字が付く程のプロイセン狂いだったのだ。

 どこで道を踏み外したのかは、もはやルイーゼ自身も覚えていない。両親だって勿論知らないだろう。だが、ここはミュンヘンであり、その昔――二つの世界大戦が勃発するより前――から、反プロイセンの筆頭格であったバイエルンの州都である。両親だって生粋のバイエルン人として育った。その様な環境下で、まさかプロイセン狂いの娘が生まれるなど――こんにち許されない、ことではないが――きっと何処かで生きづらさが生まれるのは目に見えている。

 両親や教師達が直接的間接的問わず、彼女の興味をプロイセンから反らそうとするのは当然のことであった。が、ついに彼らがルイーゼのプロイセン狂いを矯正することは叶わなかった。アビトゥーアを抜群の成績で合格したルイーゼは、周囲の反対を押し切って、進学先にその昔プロイセン王国の首都であったベルリンの中心部に校舎を構える、ベルリン・フンボルト大学を選んだのである。

 しかし、幸せなひとときは永くは続かなかった。三年程そこで歴史を学んだ後、ミュンヘンへ呼び戻されることになったのである。ベルリンに別れを告げる時が来たのだ。



 別れの日が爽やかな晴れの日というのは皮肉なものである。今朝のニュースによれば、今日もまた気温が三十度を超える。つまり、非常に良い天気なのだ。

 そして、その別れの日の朝も、ルイーゼは日課通りにベルリンの街を歩いていた。

「おはようございます、ヘル・シンケル。今日も建物の設計ですか?」

シンケルプラッツを横に見ながら、ルイーゼは呟く。早朝で人出がさほど無いとはいえ、他人からすれば大きな独り言に過ぎないが、彼女にとってはベルリンに来てからの重要事項だった。

 なぜなら、ここシンケルプラッツには、ベルリンの歴史的建造物の多くを設計した、その名もカール・フリードリヒ・シンケルの銅像が建っているのだ。

 大なり小なりプロイセンの歴史に貢献した偉人には、銅像彫像であっても敬意を払わなければならない。プロイセン狂いの――ここベルリンに来てからも、その地位は揺るがなかった――ルイーゼにとっては当然のことだ。そして、それは他の偉人達――もとい銅像彫像――に対しても同じことなのだった。

 ルイーゼがウンター・デン・リンデンに出て西の方向に曲がると、そこには未だに正面に工事の足場の設置された――二〇〇六年から改装工事をしているのだ――皇太子宮殿がある。その横にあるこの宮殿の庭にもまた、偉人達の彫像が建っている。彼女は歩道から、その庭にいるであろう偉人達に向かって呟く。

「おはようございます、ブリュッヒャー将軍、グナイゼナウ将軍、シャルンホルスト将軍、ヨルク将軍。今のドイツがこうして平和なのは閣下達のおかげです。またここが平和であるうちにお目にかかることを祈ります」

 かつてナポレオン戦争時に活躍した偉人達に挨拶を済ませると、母校であるフンボルト大学を通り越しに見た。門の両脇に、この大学の創設者であるフンボルト兄弟の彫像が座っている。

「フンボルト両先生方」

ルイーゼは涙を堪えるのに少し息を詰まらせてから、

「この学校で学んだこと、忘れません。大変ありがとうございました」

そう言うと、恭しく一礼した。

 しかし、彼女の別れの挨拶は、もはや恩師同然の彼らで終わりではない。もう一人、忘れてはならない人物――の彫像――がいるのだ。

 ルイーゼはそのまま、ウンター・デン・リンデンを西へ進んだ。すると、すぐに目当ての人物――の彫像――が見えてくる。

 そもそも大学の正面にそれがあるから、別に滅多に会えないという訳ではないのだが、それでも彼女にとっては格別だった。

 その人物の顔が見えるあたりで、ルイーゼはその人物の名前を口にした。

「フリードリヒ大王! ――」

 けれど、そこに先客がいたことで、彼女は二の句を継ぐことができなくなった。

 しかもその大王の像を物憂げに見上げている先客の横顔は、ルイーゼが日頃資料や博物館で見てきた大王の肖像画や、それこそそこに建っている騎馬像のそれに酷似していたのだ。

 『酷似』、であって『瓜二つ』、ではない。どちらかと言えば、騎馬像を見上げている彼は、大王が未だ若かりし頃――未だ王太子と呼ばれていた時分――のそれに似ていた。違いと言えば、この気温三十度超えの予想される夏の晴れの日だというのに、上等そうな作りの黒のスーツを着ていることと、顔に遠目からでも分かる程の、掻きむしったような傷跡があることくらいか。ただ、気怠そうにステッキに体重を預けている様子のせいか、外見よりも年老いて見える気もした。

 その先客はルイーゼの声に気がついたのか、溜息混じりに首をこちらに向けた。彼女を見た瞬間、彼は眉を顰めたが、何がそんなに不満なのか、冷酷な表情になる。ルイーゼはそれに一瞬気圧されながらも、先客に声を掛けた。

「フリードリヒ大王がお好きなのですか?」

彼女はそう友好的に話しかけたものの、先客の返してきた言葉は、その態度をふいにするものだった。

「きみには私がそういうふうに見ているように映ったのかね?」

「えっ……と……」

先客から言われた舌打ちが出てもおかしくなさそうなあまりの皮肉に、ルイーゼはおずおずと答える。

「それにしても、彼のことを興味深そうに見上げていらっしゃったので……つい」

不機嫌そうな先客は、ルイーゼの言葉に「ふむ」と唸ると、

「興味が全く無い、と言えば嘘にはなるがね。……きみは見たところ、そこの大学の学生のようだが、彼が好きなのかね?」

そう彼女に訊く。彼女はその問いに、さっきとは打って変わって意気揚々と回答した。

「はい! 彼はこのドイツの前身であるプロイセン王国の地盤を固め、“小さな大国”としての地位を築いた方ですし、その国王としての責務を全身全霊で全うなさった姿には心を打たれます。わたしが尊敬するプロイセンの偉人達の中でも最も素晴らしい方ですよ!」

けれど先客は、得意げな彼女に、

「へえ? 彼を実際に見た訳でもないのに『姿』とは、よくそんなふうに軽々しく評価出来たものだ」

その辛辣な言葉に、ルイーゼは再び圧されていた。

 彼は大王の騎馬像を横目に見ながら話し出す。

「フリードリヒ・フォン・プロイセン、またの名を“フリードリヒ大王”と言う。父は“軍隊王”とあだ名されたフリードリヒ・ヴィルヘルム一世で、彼は三男にあたるが、既に兄達は夭折してしまっていたため、彼が王位継承者となった。父親は閲兵という武張った趣味を持っていたが、王太子である彼は、むしろ父王が苦手とする母親似の性格で、“馬丁の言葉”である母語を嫌い、それこそ母語が訛ってしまう程にフランス語を好み、玄人はだしのフルートの腕を持つ、『女の腐ったような』軟弱者であったという。そんな彼が父親と上手くいくはずがない。彼は父親の不興を買っては、家臣や来賓の前であろうと構わず罵倒され殴打された。そんな父の仕打ちに耐えられなくなった王太子は、かつて母が結婚相手として推薦したイギリス王女との結婚を望み、脱走を図る。けれどその計画は事前に国王に漏れており、彼自身はなんとか監禁処分で済んだものの、脱走の手引きをした親友将校は彼の目の前で斬首刑に処されてしまった。彼が十八歳の時だ」

彼は唖然となっているルイーゼを尻目に、まるで資料を暗誦するかのように饒舌に話し続けた。

「その後キュストリン要塞に監禁されたが、それから彼は人が変わったように働いたという。と――大王を『尊敬する』というきみなら知っているだろう、彼が王位に就いた時の言葉を?」

急に話を振られてルイーゼは驚いたが、先客の期待通り、すぐに回答した。

「えっと、『王は国家第一の奉仕者なり』、だったと思います。けれどフランス語による初稿では――」

「さよう、『王は国家第一の奉仕者なり』ではなく、『王は国家第一の下僕なり』となっている。昨今ではこちらもよく耳にするけれども、こちらの響きからは『私は、出生という盲目的な偶然によって定められたこの仕事がどんなに嫌わしいことか!』という別の言葉と、彼がプロイセン王という役目をどんなに忌まわしく思っていたかが連想されないかね?」

ルイーゼの言葉を継いで語った先客の言葉に、

(つまり、『彼は仕事だから仕方なくやった』と言いたいのだろうか)

と彼女は表情を曇らせた。さらに彼は続ける。

「さらに彼は父王との『戦争はしない』という約束を反故にし、――まあ、きみが言うように『“小さな大国”としての地位を築いた』というおまけを差し引いたとしても、だ――オーストリア継承戦争と七年戦争という二つの戦争を、民のためではなく、自らの利のためだけに行ったことで、国土を荒廃させてしまったという責任は大きいだろう。その上、戦争時は必要だったとはいえ、将校を大勢雇っておきながら、終わったら大して良い処遇も無しに解雇するときた」

そして息を大きく吐いた後、

「彼こそ、封建主義と略奪的な軍国主義の権化だよ。――私はむしろ、何故こんにち、この自由主義が流行している世の中で、彼が評価されているのか知りたいね」

彼はそう締めくくった。

 一方、ルイーゼと言えば、自分が『尊敬する偉人達の中でも最も素晴らしい方』だと称した騎馬像のその人が、会って間もない見ず知らずの男にこき下ろされるのを黙って聞いていたが、このまま沈黙を守る気はさらさら無かった。ルイーゼはもう我慢の限界とばかりに、

「お言葉ですが!」

と、彼に言い放った。冷静だけれども、しかし激しいものを秘めた彼女の言葉に、先客は驚いたのか目を丸くしている。彼女はここぞとばかりに反撃を開始した。

「あなたのご意見もご最もだと思います。彼は王としての任務に振り回されるあまり、皮肉屋でひねくれ者で捨て鉢な気難しい人になってしまわれましたが、本当はそんな方では無かったはずなんです!」

ルイーゼの言葉に、彼は言う。

「正直、今の口振りは彼を褒めているのか分からなかったのだが――、つまりきみは、『彼は王などになっていなければ、もっとまともだった』と言いたいのかね?」

「はい」

彼女は断言する。

「あなたはまるで業績だとか結果ばかりで、内面というか、人柄を見ていない。けれど、それでも、あなたのように業績について論じるとしましょう。ならばあなたならご存知あるでしょう、彼が即位した際に続けざまに発布された法令の数々を?」

先程の彼女に向けられた言葉への仕返しとも取れる質問に、先客はどこか面白そうに回答した。

「ああ、知っているよ。拷問の廃止、宗教寛容令、他にも『新聞は自由に書いてよい』だとか『誰もが自分の流儀で暮らしてよい』とかだったかね」

「はい。それらは決して気難し屋な王が『自らの利のためだけに行ったこと』でしょうか? そんな訳ありません! これが本来の彼、本来の大王の姿なのです! 彼はそんなご自身の人道的な部分を、『出生という盲目的な偶然によって定められた』大嫌いな仕事のために犠牲にせざるを得なかった。それだけなんです」

「――結局は感情論か」

ルイーゼの意見に、彼は興が醒めたようだった。けれど、ルイーゼはその意見を首肯して、

「でも、歴史の記録なんてそんなものでしょう? でなければ、」

騎馬像を指し示し、言った。

「この『自由主義が流行している』時代に、こんな人間臭い騎馬像を再建しようなんて、誰が考えるのでしょうか?」

 彼は騎馬像を再び見上げた。そこには、愛馬にまたがる猫背気味の大王の姿があった。

 いかにも王という格好をしつつも、不健康そうな猫背の老王。そう聞いただけでは、“大王”という仰々しい名前には不似合いな印象しかないけれど、その姿にはそんなちぐはぐさは感じられない。むしろ英雄のイメージとかけ離れた姿勢からは、親しみやすさがにじみ出ていた。

 彼女は続ける。

「つまり人々は、この傷ついた王を愛さずにはいられなかったんです。業績や結果がどうあれ、人々はこの王を愛している。だから“大王”と呼ばれた――これが結果です」

 「……そう」

その言葉に彼は、どこか納得したような気持ちで、

「きみという人は、彼の妹のようだ」

そう呟いた。けれど、それはルイーゼには聞こえてはいなかった。

「けれど、きみの言う通りだね」

先客の男は、改めてルイーゼに向き直って言った。

「なるほど、何人たりとも、彼へ誹謗を上手く投げつけることなど出来無い訳だ――自分自身でさえも……ありがとう」

ルイーゼは反撃に夢中だったのか、一瞬気の抜けたような顔をしたが、すぐに我に返り、

「いえ、わたしも改めて『彼が好き』なのだと再確認できましたし、故郷に帰る前に『大好きなフリードリヒ大王についての議論をする』という良い思い出が出来、大変ありがとうございました」

「故郷?」

「はい。ミュンヘンの両親が、よほどわたしがベルリンに居るのが気に入らないのか、来年度からバイエルンの大学に通え、と」

「ははあ」

彼は腑に落ちた、といったような顔をして、

「だからそんなオーストリア風な話し方をするのだね」

そう言う。ルイーゼは目を丸くして、

「あなたには驚かされっぱなしですね。こちらではあまり通じないので、ずっとベルリン訛りを使っていたつもりですけれど……、オーストリアをお訪ねになったことが?」

彼女が訊ねると、先客は――ほとんど分からないくらいではあったが――表情を曇らせて、呟くように答えた。

「少し懐かしかっただけさ」

 「でも、よくこちらへ来たものだ。それにきみの知識には驚かされた。あれだけプロイセンについて知っている者は、もうほとんど居なくてね。オフィスのベルリン出身者でさえ知らないことは多い」

先客の言葉に、ルイーゼは再び得意そうに話す。

「わたしもいつからプロイセンが好きになったか覚えていないのですが、ただ、こちらへ来る時は、『プロイセンもバイエルンも同じドイツなのに、憎み合ってどうするのだ』と――」

「そう」

ルイーゼの言葉に彼は騎馬像を見上げ、そしてその騎馬像の大王と同じ表情で、

(なるほど、ドイツの未来は明るいようだね)

心の中で、そう独りごちていた。

  • 初出:2012年8月4日〜5日第13回クリエイターズマーケット無料配布冊子『「」カギカッコ』収録
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