黒山羊塔

栄光のtimen Sie Null 〈2〉前編

 急に暗かった目の前の風景が明るくなったことに驚いて目が覚めたことに気付いた。

 ベッドの上で寝ていたということを悟る。久しぶりの柔らかい寝床の感触に安心する。薄く目を開けると、銀髪で赤眼の男がろうそくの明かりを手にして、俺の顔を覗き込んでいた。――目が合う。

「お? 気が付いたか?!」

男が笑って言う。俺は返事をする代わりに上半身を起こした。体の節々が痛んで、喉の奥から声が漏れる。――不意に、体がバランスを崩して傾いた。男に肩をつかまれ、体を支えられる。

「おいおい?! 大丈夫かよ……」

再び寝床に戻される。男は安心したように溜め息をつくと、ベッドのすぐ脇にあったテーブルに明かりを置いて、ソファにどっかと座った。

 「――ここは……?」

柔らかい毛布を少しどけながら、男に訊く。妙に良い質の毛布を使っているから、野戦病院などではないようだが。

「ここか? ……ああ、言ってなかったっけか。ベルリンだよ」

分厚い本をぺらぺらとめくりながら、その男は答えた。――ただめくっているようにしか見えない。

「ベルリン……?」

「ああ、我がプロイセン王国の首都! お前が『ウィーンに帰るのは嫌だ』って言うからな、俺があの腐れ坊っちゃんに許可取って連れて来たんだよ」

男は得意げに言ったその後に、「気に入らねえけど、今も昔もドイツの盟主はあいつだからな……」と、くやしそうに付け加えた。

「――“あいつ”?」

俺は訊いた。俺は怪訝そうに答えた。

「え? “あいつ”っつったらローデリヒ――オーストリアに決まってるだろ。ってかお前、何も覚えていねえのか?!」

男が身を乗り出して迫ってくる。すごい剣幕に、俺はびっくりして首を横に振った。何も覚えていないのだから首を横に振るしかない。

「じゃあ――」

男がテーブルをまたいでこちらへ来た。顔が近い。逆光のせいで、余計に表情が厳しく見える。思わず遠ざかったら、逃がさないためなのか肩をしっかりと掴まれた。痛い。

「自分が×××××ってことも分からないのか……?!」

 その男の問いに、俺は何故か血の気が引いて、冷や汗が吹き出るのを感じた。頭がぐらぐらし、気絶しそうになる。

「おい!」

男に体を揺すられて、無理矢理意識を呼び戻す。

「――知らない……」

力無く首を振りながら答える。男もそれを聞いて、

「そうか……」

と力の抜けたような返事をした。肩から手が離れる。俺は倒れるように仰向けに寝転がった。急にどっと疲れた気がした。はぁ、と息を吐く。男のほうを向く。

 男といえば、あごに手を当てて何か考えごとをしているようだったが、ふと視線がこちらへ向き――、何かを思い出した様子で、

「そういえば、お前に名前付けないとだな!」

と打って変わって、笑顔でそう言われた。俺は唖然とする。

「は?」

「“は?”ってお前なぁ……、今の名前じゃないにしろ、名前を呼ぶたびに気絶されるのはすごく困るんだよ。何ていうか……すごく面倒臭い」

男が後ろ頭をぽりぽり掻きながら話す。俺自身、そんなに自覚は無いだけに驚きだ。しかし、それならここまで記憶が途切れ途切れであることにも合点がいく。だが、そうなるとこの男にはかなり迷惑をかけたことになる。

「すまない……」

俺がそう言うと、男は俺の頭をくしゃくしゃと撫でて、

「そんなに深く考えるな」

と言った。

 頭を撫でられるのは久しぶりだった。

「そうだな……、アレだ、気分転換? みたいな感じだと思えよ。な?」

顔を覗き込まれて笑いかけられる。こんな笑顔を見たのも久しぶりだった。俺はうなずいた。

「よし」

男はそう小さく呟いて、俺の頭から手を離した。

「じゃあよろしくな、ルッツ!」

「?! “ルッツ”?」

いきなり砕けた呼び方をされて、俺は呆気にとられた。しかし男は至って当然のように、

「あ? ルートヴィヒの愛称でルッツだよ。俺の弟の名前を愛称で呼んじゃいけないって言うのか?」

そう言った。だが俺は今の発言に更に困惑する。

「しかし弟というのは……?!」

「お前のことだけど。俺の弟、嫌か?」

今度は男のほうが不安そうな顔をした。その男の態度に俺は、

「――いや、」

自分の表情がほぐれていくのを感じた。

「悪くないと思った」

「そうか?」

男が笑って手を差し伸べてくる。握手を求めているようだった。

「よろしくな、ルッツ」

でもこの男は大事なことを忘れている。俺は男の手と顔を見比べて言った。

「俺は未だ貴方の名前を訊いていない」

男は一瞬だけキョトンとした顔をすると、再び笑って言う。

「ギルベルト・バイルシュミット。お前の兄の名前だ」

「ギルベルト……」

俺は男――俺の兄となる男の名前を一回だけ呟いて、

「よろしく、……えっと、兄さん」

手を差し出した。兄さんと俺はにっこり笑って握手した。

その時から、俺はルートヴィヒで、ギルベルトの弟になった。


   *


 「――え? 今、何て言ったんだ兄さん……?」

ルッツの口から、食べかけのリンツァートルテの欠片がこぼれた。ルッツが食べ物をこぼすなんて滅多にない。俺は今言ったことを復唱した。

「来週から、お前をローデリヒの元に返すことになった。ちなみに決定事項な」

ルッツはフォークを置いて、俺の話をじっと聴いている。いや、半ば呆然としていたかもしれない。目が泳いでいる。

「分かったか、ルッツ?」

俺はルッツに確認する。ルッツは状況が飲み込めないと言わんばかりの表情で、

「何故だ……?」

と訊いてきた。

「ローデリヒ、――じゃねえな、オーストリアが、“これ以上ドイツ連邦内に不和をもたらさない”という証に、ルッツ、お前を返すように、って言って来たんだ」

「な……」

やはりルッツは納得していないといった様子で、わなわな震えながら、さらに訊いてきた。

「ロシアは?! イヴァンは何て……」

「坊っちゃんと仲の良いロシアが、坊っちゃんの意見に賛成しないなんてことがあると思うか?」

俺は即答する。俺は自分でも驚く程に冷静だった。ルッツはヒステリーでも起こしたかのようにまくしたてる。

「他の兄達は……?」

「……落ち着けよルッツ……」

身を乗り出して来たルッツを、椅子に押し戻す。ルッツは涙目だ。

「何で……俺が……? 俺の……」

「お前のせいじゃねえよ」

言いながら、頭を撫でる。

「正直、俺だって坊っちゃんのところにお前をあずけるのは不安だ」

俺は言った。ルッツは落ち着いたようで、大人しく聞いている。俺は続ける。

「お前をベルリンに連れて行ったのもお前のためだしな、今更お前を坊っちゃんのところにやるのも納得いかねえよ。けど――」

ルッツの頭から手を離す。ルッツはその手を追うようにこちらを見た後、がっかりしたようにうつむいた。

「坊っちゃんも一応身内の一人だからな、お前に酷い扱いはしねぇだろうから、安心していいと思うぜ? なっ?!」

俺はルッツに無理矢理笑いかけるが、うつむいてるから見えるわけもない。それどころか、さらにうつむく角度が大きくなった。俺は溜め息を小さく吐いた。構わず続ける。

「あと、お前も俺の身内ってことに変わりは無えぞ、ルッツ。だから――」

言いながら、ルッツに近付き、ひざまづく。自然、ルッツと目が合う。ルッツが体の向きをこちらに向けてくる。

「お前を必ず迎えに行く。それまで待っていろ、分かったか?」

そう言うと、ルッツは少しだけ表情を明るくして、うなずいた。そして、俺も微笑んで、もう一度ルッツの頭を撫でてやった。


   *


 「―― 、 家殿、国家殿!」

「うぁ?!」

馬車の揺れと、耳元で大声で叫ばれたせいで脳天が揺さぶられ、俺――ギルベルト・バイルシュミットと言う――は目を覚ました。無理矢理起こされたせいで気分が悪い。――外を見、まだ目的地でないことを確認し、悪態をつく。

「ったく、まだ着いてねえんだから、もう少しくらい寝かせてくれよ……」

俺はあくびをかいて、再び眠ろうとした。すると、正面に座る騎兵隊少佐の軍服姿の、少し特徴的な髭面の男が動いた。小さく金属がぶつかり合う音。

「ほう、こんな時にそんなにお眠りになりたいのでしたら、永遠に眠らせて差し上げましょうか?」

「っ?!」

その男が手に持って構えているのは、見間違うことなく、拳銃だった。慌てて飛び起きて身構える。

「おっかねえな……、お前がやると冗談に聞こえねえよ……」

「おや失敬」

そう言って、男は拳銃の何かをいじった後、それを腰のホルスターに戻した。そこでやっと緊張が解ける。

「しかし国家殿、貴方の願いは我々はじめ国民皆の願いなのであります。そしてドイツ統一が貴方の願いならば、それは我々の願いでもある。そうである限り、貴方の願いが貴方一人の妄想ではないということを、お忘れなきよう」

男が厳しい面持ちでそう続ける。俺は姿勢を正して、

「すまねえ……」

と謝った。そして笑って、

「いやぁ、お前みたいな奴がまだ俺の家にいると、すげえ心強いな! ますますお前を見直したぜ」

心からの謝意を口にする。男といえば笑みの一つもこぼさず、厳しい表情のまま、一言、

「いえいえ、国家殿のお力あってこそ」

としか返さなかったが。

「たださ、何かあると割とすぐに銃向けるのは止してくれよ……。相手が俺だから済むけどよ、つーか、お前、安全装置外したのを向けてくるだろ?!」

「はい」

真顔で言うな。冷や汗が顔を滑り落ちる。

「やっぱマジかよ……、生きた心地がしねえよ止めてくれよ、いくら鉄血宰相でも!」

「以後気を付けましょう。しかし国家殿、このくらい命を賭けねば、ドイツ統一や他のこともやっていられませんよ」

“鉄血宰相”は口だけ笑って、そう言った。

 「さて、先程も私が申し上げました通り、対オーストリア戦への準備も仕上げの段階でありますぞ」

「そうだな」

馬車の外の風景を眺めながら、“鉄血宰相”の言葉に応える。馬車の外は気持ちの良さそうな日差しに照らされた、北イタリアの田園風景が広がっている。

「まあ、イタリアちゃんは俺達の案にはきっと乗ってくれるだろ。あの腐れ坊っちゃんに不満持ってるのは一緒だしな」

俺は自信満々に言う。“鉄血宰相”はそんな俺の様子に感心したような、または不思議そうな顔をして、

「ほう、やけに信用していらっしゃるのですな?」

と言った。

「まあな」

俺はそれに応える。

「昔からの付き合いだし――、それに今回会いに行くのは弟のほうだけどな、その弟の名前が――」

俺は思わず口元が歪むのを止められなかった。それを隠すように前のめり気味になる。

「? 何か可笑しいことでも?」

“鉄血宰相”が顔を覗き込んでくる。俺は必死に笑いを堪えながら続けた。

「弟の名前な、“イタリア=ヴェネチアーノ”って言うんだってよ!」

俺がそう言うと、“鉄血宰相”は少し呆気にとられたような表情をした後、納得したように、

「ああ……」

と呟いた。この男がこんな表情をするのは珍しい。

「とにかく、前に会ったフランスみたいな奴じゃないってことは確かだな」

「はあ……それなら良いのですがね」

そんなことを話している間に目的地に到着したらしく、馬車が大きく揺れた。馬車の外は、思った以上に日差しがまぶしかった。迎えの者に支えられながら馬車から降りる。

 「さて……」

姿勢を正し、着崩れを整えながら、俺は言った。

「フランスより交渉は易しいだろうが、油断するなよ?」

その言葉に、俺に続いて降りてきた“鉄血宰相”が応える。

「勿論、そのつもりですよ。それより、貴方も気を付けてください、国家殿?」

「分かってる。まあ、もしもの時はお前が何とかしてくれると信じているぜ? なあ、“鉄血宰相”オットー・エードゥアルト・レーオポルト・フォン・ビスマルク=シェーンハウゼン伯爵?」

“鉄血宰相”ビスマルク。そう俺が呼んだ男は、眉一つ動かさずに、また口だけで笑った。


   *


 ギルベルト・バイルシュミットことプロイセンが、この俺――フランシス・ボヌフォワ――の元を訪ねて来たのは、サドヴァーで彼とローデリヒ・エーデルシュタインが刃を交えるほぼ一年前のこと。皇帝について休養地のビアリッツにいた俺の元に、ギルベルトが上司と共にやってきたのだ。

客間には、既に銀髪の男――ギルベルトだ――が控えていた。ギルベルトと俺の席のところにはワインが用意されていた。

「やあ、ぷーちゃん久しぶり! 元気にしてた?」

「“ぷーちゃん”言うな」

冗談半分に使った“ぷーちゃん”呼びを、ギルベルトにあっさり拒絶される。

(これ、結構気に入ってる呼び方なんだけどなあ)

思いながら、ワインを開けてお互いのグラスに注ぐ。

「ま、元気かと言われれば元気だな。あの坊っちゃんの命乞いしてくるところを想像するとゾクゾクするぜ……!」

ぷーちゃんがどや顔で話す。すごく分かりやすいなあ。

「へえ、それじゃあいよいよオーストリアのクチを塞ぎに行くの?」

「……お前も話が早いよなあ……」

……誰と比べられたんだろ俺。つか呆れられなかった? ぷーちゃんは俺に構わず続ける。

「まあいい、その通りだ。とにかく、そのことでフランス、お前に頼みがある」

「加勢して欲しいんだったらライン川の左岸をくれないと駄目だよ?」

「誰も“加勢してくれ”なんて言ってねえよ!」

 ちなみに“フランス”って俺のことね。

 「お前はただ黙っていてくれりゃそれで良い。俺はとりあえず坊っちゃんとやり合いてえんだよ」

「なるほど?」

俺はワインを一口、口に含んだ。それにしても、ぷーちゃんは一口も飲んでいない。

「プロイセンがオーストリアと戦っている間、俺は傍観してるってわけね。なにそれ妬ける! でもそれだけでライン川の左岸もらえるのならそれでも良いかも!」

「一人で興奮してんじゃねえ、気持ち悪い」

「ごめん」

ぷーちゃんが本当に気持ち悪そうに話すもんだから、ついつい謝っちゃったじゃない。まあ良いけど。

それに――互いに――こんな約束、守るわけないんだし。

「やっぱり、これは秘密ってことになるのかねえ……?」

言ってから、俺は空になった自分のグラスにワインを注いだ。やっぱりぷーちゃんの分は減ってない。

「そうしてもらえると助かる」

そして、ここで初めて、ぷーちゃんはワイングラスを持った。

グラスを掲げ、笑ってぷーちゃんは言う。

「互いの利益のために」

言って、ぷーちゃんは一気にグラスを空にした。俺は嗤ってそれに倣った。

「互いの利益のために」

互いの利益なんて知ったことじゃない。自分や自国に利益があればそれで良いのに。そんなことを思いながら、俺はワインを飲み干した。


   *


俺ことギルベルト・バイルシュミットは、ビスマルクと一旦別れ、イタリア=ヴェネチアーノことフェリシアーノちゃんと共に会食、もとい会談していた。上司は上司、国は国が相手をするのはもはや慣習だ。

「わー、ギルベルト! イタリアへようこそ!!」

フェリシアーノちゃんは、俺を笑顔で――そう、イタリアの青空に輝く黄金の太陽のような笑顔で! 俺を迎えてくれた。すごくまぶしかった。脇にいたビスマルクやフェリシアーノちゃんの上司が若干呆れ気味に見えたのは多分気のせいだ。

それはさておき。会談は、やはりフランス相手の時のようにややこしいことにはならず、すんなりと進んでいた。いや、むしろ、こっちの出した条件にフェリシアーノちゃんのほうが驚いていたが。

「じゃあ、本当に俺、何もあげなくてもいいの?」

「ふぁあ」

物を口に入れたまま喋ってしまい、変な返事をしてしまった。口の中のパスタをワインで何とか胃の中に流し込み、続きを話す。

「まあ、強いて言えば、“オーストリアに宣戦してもらう”ってこと自体が見返りってことになるな。二方向から一度に敵が来たら、オーストリアも敵を二手に分けざるを得なくなるだろ」

「やっぱり……、プロイセンでもオーストリアさんは強いと思う?」

フェリシアーノちゃんが半ば不安そうに、俺――プロイセン――に訊いてくる。やはり、自分からオーストリアの家を飛び出して来たとはいえ、未だ力が及ばないということを自覚しているのだ。俺はそれに、

「いや、オーストリアなんて俺一人でもぶっ潰せるぜ! ……って言いたいところだが、兵の数はさすがに侮れないのが現状なんだよなあ……」

と答えた。

「やっぱり?」

「まあな、オーストリア軍は旧態依然とは言っても、数の上ではこっちが負けてるし、何より――」

前の戦い――シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争でのオーストリアの姿を思い出す。眼鏡の奥の紫色の瞳が目に浮かぶ。――と。

「プロイセン?」

フェリシアーノちゃんに名前を呼ばれ、別のことに気が向いてしまっていたことに気付いた。

「あ、いや、……ちょっとな……」

思わず不安要素が隠し切れないような返事をしてしまった。フェリシアーノちゃんはいよいよ本当に不安そうな表情になり、

「プロイセン、オーストリアさんに勝てる?」

そんなことを訊いてきた。普段のフェリシアーノちゃんの口から出てこないような、真剣そうな物言いだった。

「“勝てる”って……、勝つしか無いだろ」

「うん、まあ。そうなんだけどね?」

フェリシアーノちゃんは、少しだけ、困ったような、無理矢理笑ったような顔をした後、これまた普段の、あの太陽のように輝く笑顔からは程遠い、不安ながらも真剣な表情で続ける。

「俺ね、“戦い”になると、いつもローマ爺ちゃんや、神聖ローマのことを思い出すんだ。大きくて強い国でも、一回の戦いで容易く滅んじゃうんだ、って。小さい国なら尚更」

俺は黙ってフェリシアーノちゃん――イタリアちゃんの話を聞いていた。普段の言動からはあまり想像しにくいが、イタリアちゃんも多くの国の興亡を見届けてきた国の化身の一人だということを思い出す。

「本当は独立や統一だって怖かったし、今だってまた周りの国が攻めて来るかも、って不安なんだよ。……でも」

イタリアちゃんは一瞬うつむくと、――何とも頼り甲斐のありそうな顔をして、

「何もしないのは一番駄目だって、分かったからね。――ねえ、プロイセン、」

こちらを向いて、

「オーストリアさんに勝てる?」

心を決めた表情で訊いてきた。

「――勝つ。勝つしかねえ。――そのために」

俺もそれに答える。

「俺はイタリアちゃんに宣戦してもらう代わりに、ヴェネチアを保証する」

「俺はプロイセンにヴェネチアを保証してもらう代わりに、オーストリアさんに宣戦する。そうだよね?」

その頼り甲斐のある言葉に、俺は嬉しくなって、

「さすがイタリアちゃん、物分かりが良い」

「ヴェー、ありがとう!」

あれ? 通常運転? ……まあ良いか。

「それじゃ、双方合意した、ってことで良いか?」

「うん、俺頑張るー!」

と、再び食事に戻ろうとしたが。

「あれ、プロイセンどうしたの? 早くしないと、せっかくの料理が冷めちゃうよー」

イタリアちゃんが食事を勧めてくるが、俺はそのイタリアちゃんが先程口走った言葉がどうしても引っかかって、食事どころではなかった。――ずっと考えているのも性に合わないので、疑問を口にすることにする。

「あのな、イタリアちゃん。×××××は、××××××って知らないのか?」

「……え?」

俺の言葉があまりに意外だったのか、イタリアちゃんはワイングラスを取り落とし――、当然ながら、ワイングラスは割れ、その音が部屋中に痛いまでに反響した。


   *


 飛び交う砲火。

 主人を無くした軍馬達のいななき。

 死にゆく兵士達の断末魔。

 それらにうなされて、俺――ルートヴィヒは目を覚ました。決して心地良くない寝起きに、めまいと吐き気を感じる。窓のほうを見る。――外はまだ暗いうえに静かだ。とりあえず、俺は水を飲むために寝床から抜け出した。

「この××め!」

「たかが×××などに……!」

(くそ……)

夢での光景がフラッシュバックする。それらは既に目と耳とに焼き付いてしまっているようだった。しかし不思議なことに、それらの場面に遭遇した覚えは無い。だが、

(そんな覚えの無い場面を繰り返し見せられても、不快なだけだ)

俺はそんな不快感を、水と一緒に飲み込もうとした。が。

「――忘れるのか?」

俺の後ろから――俺以外誰もいないはずの部屋の、だ――そう声を掛けられて、コップを持つ手が止まる。

「え」

驚きと恐怖で、喉の奥から声が漏れる。それを、相手は疑問符と勘違いしたようだ。

「忘れるのか、と訊いているんだ。ルートヴィヒ?」

相手はさらに驚くべきことに、俺と同じような声で話しかけてきている。一体どんな相手なのかも、一体何のことを話しているのかも分からない。俺はおそるおそる、相手のほう――俺の後方だ――を振り向いた。

「一体、何を――?!」

そこにいたのは、見まごうことなく小さい頃の“俺”だった。――不意に、激しいめまいに襲われる。だというのに、“俺”が俺に近付いて来る。

「な、……っく、来るな……っ」

片手でめまいのする頭を押さえつつ、もう片方の手を前へ差し伸べて、“俺”が近付くのをさえぎろうとする――が、俺はそんなことも出来ずに、よろけてテーブルにぶつかった。テーブルが大きな音を立てて倒れる。俺も上手く体のバランスがとれず、――血の気が引いていくのも手伝って、床に崩れ落ちた。――“俺”は構わず近付いて来て、

「俺の大切な記憶を忘れて良いのか、と訊いているんだ」

そんなことを話しているのを聞きながら、俺は意識を手放した。

  • 初出:pixiv「【ヘタリア】栄光のtimen Sie Null 《2》 前編」2012年2月27日投稿
  • 参考書籍
    • セバスチァン・ハフナー『図説プロイセンの歴史―伝説からの解放』東洋書林
    • ジェフリー・リーガン『ヴィジュアル版 「決戦」の世界史 歴史を動かした50の戦い』原書房
    • 渡部 昇一『ドイツ参謀本部―その栄光と終焉』祥伝社
    • 日本語版Wikipediaより、『オットー・フォン・ビスマルク』『ヴィルヘルム1世』『ヘルムート・フォン・モルトケ』

栄光のtimen Sie Null 〈2〉中編

 会談があってしばらくして、ギルベルト――プロイセン――とその上司は帰っていった。彼らの乗った馬車が夕陽の逆光で黒い点になって小さくなっていくのを見送る。会談の内容も、約束も、かなり良いものになったと俺――フェリシアーノ――は思う。……ギルベルトとの話も。――溜め息を吐く。

(やっぱり、待っているだけじゃ駄目なんだ……)

「――何突っ立ってんだコノヤロー」

後ろを見ると、玄関の扉の後ろから、ロヴィーノ兄ちゃんがひょっこり出てくるところだった。

「兄ちゃん?! なーんだ、やっぱり来てたんじゃんかあー!」

「うっせー! お前が頼りねーから来てやったんだろチキショー!」

兄ちゃんがこちらへ駆け寄ってくる。

 「で、うまくいったのかよ」

「え、何が?」

「会談だ会談!」

夕陽のせいなのか、本当にそうなったのか、兄ちゃんの顔が赤く見える。

「うん。こっちもオーストリアさんに宣戦すれば、ヴェネチアは保証してくれるって」

「……結局は出兵するんじゃねえかよ……」

兄ちゃんがうなだれる。度重なる戦争に疲れているのだろう。それは俺も同じなんだけどなあ……、でも、

「でも何もしないで待ってるのはうんざり、なんだろ?」

兄ちゃんがぼそりと呟いた。兄ちゃんの口から、まさかその言葉が出るとは思わなかったから、俺は少し驚いた。小さく「うん」と返す。

「ていうか、それ俺の台詞」

「んなもん知るかよコノヤロー」

兄ちゃんが溜め息を吐いて顔を上げる。

「しゃーねーな……、またピエモンテに出てもらうか……」

兄ちゃんが頭を掻きながら言う。

「きっとまたうんざりした表情されるね」

兄ちゃんに笑いかける。でも兄ちゃんは笑い返してくれるどころか、目さえ合わせてくれない。

「しょうがねえだろ、何とかするしかねえ」

でも、この時久しぶりに兄ちゃんのかっこいい顔を見た気がした。

「オーストリアに宣戦するぞコノヤロー」


   *


 プロイセン帰国後、司令部に戻った俺――ギルベルト・バイルシュミット――と“鉄血宰相”ビスマルクを出迎えたのは、老人の外見ながら、どこか若々しさを感じさせる精悍な風貌の男だった。

「参謀総長自らが出迎えか、モルトケよ」

ビスマルクが男――ヘルムート・カール・ベルンハルト・フォン・モルトケ――に言う。モルトケはふ、と小さく笑って、

「まあ言うな、ビスマルクよ。若いのを呼びにやったところで、お前を呼んで来れても、国家殿の名を知る者は居らんのでな」

と話した。確かに、この国の化身である俺の『ギルベルト』という名前のほうを知る者は数える程しかいないが。

「まあ“国家殿”とお呼びしたところでややこしいだけだが、他にないのか? 外見でお呼びするとか」

「では“白ウサギのような男”か? しかし、これでは可愛らしくて認識に齟齬が生じるな……」

どう見ても仏頂面なのにノリノリで言うな。

「では“白髪の男”ではどうだ? 間違ってはおるまい?」

「間違ってはいないが老人のようではないか?」

「おい、お前ら黙れ」

だんだん嫌な方向に白熱していくのが悲しい。目から汗が出そうなのは気のせいということにしておきたい。仏頂面と無表情が冗談を言っても面白くない。だいたい、この二人は俺のことをどんな目で見てたんだ。まあいい。

「オットー、俺達がここに来たのは俺の呼び方を相談するためじゃないだろ。ヘルムート、さっさと俺達に戦況とこれからの作戦を報告しろ」

俺がそう言うと、二人は顔を見合わせた後、真顔で、

「確かに冗談が過ぎたようです、国家殿。このヘルムートめとビスマルク=シェーンハウゼン伯爵の無礼をお許しくださいませ」

「とは言え国家殿、少なくとも外見上は我らより若くとも、我らよりも永い時を過ごしていらっしゃるのですから、このくらいムキにならずとも良いのでは?」

と返された。ビスマルクにそう言われてしまうと、俺は反論が出来なくなる。

「ていうか、お前は俺に対する反論がいつも酷いから嫌だぜオットー」

「国家殿がいつも子供のような振る舞いをなさるからいけないんですよ。もう少し威厳を持った話し方をしてくださいましたら――」

「いつでもそういうのやってると疲れる」

「お二人とも、よろしいですか?」

見ると、とっくにモルトケが地図の上に駒を並べて、説明の準備を終えていた。すごく周囲からの視線が痛い。これが“子供のような振る舞い”を露呈した結果なのか……?

 そんな俺の気持ちに関係なく、モルトケは予定通りに説明を始めた。

「六月十五日に宣戦布告を行い、手始めにまずホルシュタインのオーストリア管理地域を占領しましたが――」

ついでに、ホルシュタインは前のデンマークとの戦いで、デンマークから俺――プロイセン――とオーストリアとで奪っ――じゃなくて、獲得した土地の一つだ。

「その時点で、我らプロイセンに味方すると表明されたのは、前もって同盟締結したイタリア、他、オルデンブルク、アンハルト、ヴァルテック、ブラウンシュヴァイク、ブレーメン、ハンブルク、リューベックなど」

「敵は? オーストリア方についた国はどのくらいある?」

ビスマルクが促す。モルトケは一瞬こちらを見たあと、続けて、

「オーストリア側は、ザクセン、バイエルン、ヴュルテンベルク、ハノーファー、ヘッセン、ナッソウなどですな」

と言った。

「オルミュッツの時に絡んできた奴らばっか……!」

思わず口から出てしまった。敵に回った奴らの顔が目に浮かぶ。

「まあ、承知の上だったとはいえ、これはさすがに武者震いが来るレベルだな……」

俺がそう言うと、

「大丈夫ですよ、こちらも色々と準備を整えて、この戦いに臨んでいるのです。有力諸侯の多くが敵に回るのも承知の上――そうでしょう?」

とモルトケが言った。ビスマルクは「ほう」と髭を撫でながら、

「“大丈夫”と言うからには策があるのだな、モルトケよ?」

と訊ねた。

「勿論」

モルトケは答える。

「置かれた状況も、まあだいたいは承知の上。あとこちらに出来ることは、実力を十分に発揮し、相手に――この戦いに勝つことです。そのために――」

「? “そのために”、何だよ?」

俺が急かす。モルトケは至って仏頂面で、

「無視します」

と言った。わけ分かんねえ。

「無視とはどういうことだ?」

ビスマルクが訊く。モルトケは広げた地図と駒とを指さし、

「つまり、他の諸侯の動きは無視し、今回相手にするべきオーストリア軍との戦いに集中する、ということです」

 モルトケの言うには、今、鉄道を利用して三つの方面軍を集めてあるという。王太子のフリードリヒ・ヴィルヘルム率いる第二軍と、その弟であるフリードリヒ・カールの第一軍、そしてエルベ軍。それらの軍をそれぞれ、シュレジェン、ザクセン国境、さらに西のプロイセン領ザクセン州に展開する。前線は四百キロにもなる。ここで、

「おいヘルムート」

俺は声を上げた。

「何でしょうか国家殿?」

モルトケは至って平然として応えた。俺はその反応に唖然としつつも、続けた。

「この兵力を分散した布陣じゃ、敵に兵力を集中された時に不利だ。あまりに大胆すぎやしないか?」

この問いに、モルトケは息を一つついて、

「確かに、国家殿がそうおっしゃるのにも、私自身もうなずけます。――しかし、私には自信があります」

「理由は?」

俺は問う。モルトケは冷静に、

「敵軍司令官は――ベネディクは、先制攻撃はして来ず、逆に攻撃されるのを待つ、と考えます」

そう答えた。

確かに、オーストリア軍司令官であるベネディクはそう考えるかもしれないと俺は思ったが、未だに一抹の不安があった。実際、今まで黙って聞いていたビスマルクも、難しい顔で地図に配置された駒を見つめていた。


   *


 戦争が始まって、早くも三週間が経過しようとしていた。

 ローデリヒさん――いいえ、オーストリアさんの屋敷のこの大広間には、戦いが始まってから、連日昼夜問わず、代わる代わる伝令が戦況を伝えに駆け込んでくる。オーストリアさんは、その大広間の中央の席で、伝令達の報告を他の軍や政府の高官達と聞いていた。勿論、ハンガリーであるわたし、エリザベータも、家事の合間に話を聞いていたのだけれど。

「オーストリアさん、プロイセン軍と味方の軍が遭遇したと聞きましたが……?」

オーストリアさんは少し疲れ気味の様子で、

「ええ、第十軍団をはじめとする軍が、我らと同方向へ進軍していたプロイセン軍と――」

そう答えつつ、地図の上の各軍を模した駒を動かしている。

「それで、味方は――」

「どうもこうも――」

へたり込みそうなオーストリアさんに椅子を勧める。オーストリアさんは小さく「ありがとうございます」と言ってくれ、そして遠慮がちに座って、

「勝ちましたよ」

その言葉に、わたしは安堵する。でも、オーストリアさんはそこに、「ですが」と付け加えて、

「報告に上がってくる数だけでも、人的被害は相手よりこちらのほうが多く、他の軍団では敗北の知らせしか届かないんです」

と続けた。オーストリアさんの眉間にはしわが刻まれている。

「――もしかして、苛々してます?」

思わず口に出してしまった。気付いた時にはオーストリアさんが目を丸くしてこちらを見ていた。言うんじゃなかったと後悔する。

「すみません、わたし、変なこと言っちゃいました……!」

「――いえ」

運ばれて来た紅茶を口に含みつつ、オーストリアさんは言う。

「というより、自分の不甲斐なさに腹が立ちますね」

少し落ち着いた様子で彼は続ける。

「兵力もこちらのほうが倍以上で、相手はかなり危なっかしい動きをしていて。ずっと我が軍に有利な状況にあったのですよ? しかし、我が軍は勝機を逃してばかり」

自嘲しているかのような笑みを浮かべて、オーストリアさんはそう話した。……でも。

「オーストリアさんは悪くないじゃないですか。指揮をとっているのはベネディクじゃありませんか!」

「ハンガリー? 他人のことをそう言うのは良くないですよ」

 オーストリアさんはわたしにきっぱりとそう言ってから微笑むと、空になったティーカップを置いて立ち上がった。

「伝令はまだ居ますか?」

オーストリアさんはそう呼びかけて伝令を呼び止めると、とんでもないことを言い出した。

「ベネディク陸軍元帥に、『撤退してウィーンを守る気が無いのなら、ケーニヒグレーツ要塞で軍を立て直し、攻勢に転じられるようにせよ』と伝えてください。私も出ますので」

これにはわたしを含め、大広間中の人達が驚愕した。誰かがコーヒーを吹いた音がした。

「お止めください祖国殿!」

「オーストリア帝国殿にもしものことがあっては困ります!」

「だいたい、祖国殿に前線に出られましては、将軍達の面目や指揮系統に影響が……!」

そんな政府や軍部の高官達の言葉に、オーストリアさんは呆れた様子で溜め息を大きく吐くと、

「良い加減にしなさい!」

といつもの彼では考えられないような激しい声色で一喝した。今まで大いに騒ぎ立てていた人々が一気に押し黙る。

「今ここで巻き返さなければ、我がオーストリア帝国の名誉が――命運が尽きてしまうということがお分かりになりませんか、このお馬鹿さん達が!」

言い切ったところで、オーストリアさんは我に返ったように一瞬ハッとした表情を見せ、大広間に居る群衆から視線をそらした。が、当の群衆は目が覚めた時のような顔になっている。少しの静寂の後に、大広間が湧いた。

「承知致しました、祖国殿。ベネディクの目を覚ましてやってくだされ!」

「是非勝って帰って来てくださいませ!」

その反応に――オーストリアさんにとっては予想外だったのだろう――オーストリアさんは若干驚いて、それから嬉しそうに小さく笑った。

 「――ああ、ハンガリー」

何かを思い出したように、オーストリアさんはわたしを呼んだ。オーストリアさんに群がる人々を押しのけて、彼のそばへ駆け寄る。

「はい、何でしょうか、オーストリアさん?」

訊くと、オーストリアさんは、

「では、私はしばらく前線の支援に行ってきますが、私のいない間――」

「はい! 留守はちゃんとお守りします。オーストリアさんは存分にプロイセンを殴って来てください!」

わたしは思わず彼の言葉を途中で切って話してしまった。彼は苦笑いしてから他人に聞かれるのをはばかるように、

「それと、彼のことも」

と付け加えた。わたしは意を決してうなずいた。

彼――ルートヴィヒは、先日から急に倒れて、ずっと眠ったままなのだ。


   *


「 ふざけるな!」

「だって、それでも――」

「ああ何だ、結局そういうことか」



――体の痛みが治まった、と思ったのも束の間。一人の男が、兵を大勢引き連れて部屋へ入ってきた。――眼鏡をかけた、女々しい顔の男。

「 、」

名前を呼ばれ、男に駆け寄る。その時。

「 ! 何があ――」

鳩尾に鈍い、しかし激しい痛みを感じた。何が起こったのか分からないまま、体が“く”の字に折れ曲がり、何となく納得のいきそうにないことを言われながら、俺の意識はそのまま落ち――



気付いたら、俺は真っ暗で何も無い空間に突っ立っていた。――体の節々が酷く痛んで、重く感じる。

「――こうして三十年間ぶっ通しの戦争に身を投じた“俺”は、最後は味方の考えの転換によって、ずっと眠ることになったんだ」

急に声がして、驚きつつも声の方を向くと、そこには、

「――そうだろう、ルートヴィヒ?」

冷めた目でこちらを見る、小さい頃の“俺”がいた。

「……お前は誰なんだ?」

今度はきちんと相手と向き合いつつ、俺は相手――“俺”――に訊いた。“俺”は動じる様子を見せず、

「今の“俺”の認識で合ってる」

と答えた。その後に、

「“ルートヴィヒ”という名前かどうかは知らない。そう呼ばれたことは無いからな」

と付け加えたが。

「それより、ルートヴィヒ」

“俺”が話しかけてくる。俺は鈍重な体を支えるのに必死になりながら、“俺”に目を合わせる。

「体、痛むのか?」

そう訊かれ、俺は苛々しながら、

「かなり」

とだけ答えた。“俺”はと言えば、何故か納得した表情で、考える素振りを見せている。

「なるほど、“かなり”激しい戦いになっているみたいだな――」

「どういうことだ?」

あまりに理解に苦しむ“俺”の言動に、思わず訊いていた。その俺の問いに、“俺”は冷静に、しかし困ったようなうんざりしたような顔になり、

「まだ分からないのか?」

と逆に問いで返された。俺は反駁する。

「分からないから訊いて――」

「前にもあっただろう、同じようなことが」

そう言われ、先程の夢を思い出す。途端、点と点が線でつながった感覚を覚えた。

「また、彼らは戦争をしているようだな」

線でつなげた感覚と同時に、戦場の、兵達の雄叫びや、軍馬のいななき、榴弾の爆発する音が聞こえた気がした。

そこに立つ銀髪赤眼の男と、茶髪紫眼の眼鏡の男がちらつく。

「兄さん……?!」


   *


 七月三日、我がプロイセン軍はケーニヒグレーツに布陣していたオーストリア軍への攻撃を開始した。フリードリヒ・カール王子とビッテンフェルト将軍率いる第一軍とエルベ軍が、未だ迎撃拠点の定まってない敵軍を、容赦なく攻め立てる。

 俺――プロイセン――と我が王ヴィルヘルム一世、そして司令官であるモルトケと軍服を着込んだ“鉄血宰相”ビスマルクは、戦場を見渡すことの出来るドゥブ村近郊の丘から、その様子を見守っていた。

「なかなか良い調子じゃねえの?」

望遠鏡を覗きながら、俺は言う。後ろの方ではモルトケが鼻づまりが酷いのをハンカチで押さえて我慢しながら、ヴィルヘルムとビスマルクに作戦や戦況の説明をしている。

俺はその説明が一段落着いたと思しきところで、さっきから唸り声ばかり上げているヴィルヘルムを引っ張った。

「急に何だね?」

当然、我が王の機嫌は良い訳がなかった。

「いや? だって朝からそんな辛気臭い感じだと、味方の士気に関わるから気分転換をだな?」

ヴィルヘルムの軍服の袖を引っ張りながら答える。ビスマルクが呆れた様子で言う。

「国家殿! 未だ説明が終わっていないのですよ、陛下をお連れするのは後に――」

「良いじゃねえか、実際に見たほうが分かり易いだろ?」

俺は反論しつつ、モルトケの方へ目をやった。自然、皆の視線が彼に集中する。が。

「――は?」

どうやら、ここぞとばかりに鼻をかんでいたらしく、こちらに気がついていなかったようだった。――唖然とする俺達。

「どうでも良いけど、ヘルムートって変なトコがズレてるよな」

思わず口から本音が出てしまった。それさえも気に留められなかったようで、返事の代わりに首を傾げた。

「よく分かりませんが――、戦場の方をご覧になられるのでしたら、私は構いませんが?」

モルトケはそう言うと、ちょうどやって来た伝令の相手を始めてしまった。

「……まあ良いや。ほら行こうぜ、ヴィルヘルム!」

「とりあえず、袖を引っ張るのはやめてくれたまえ。子供ではないのだから――」

「陛下、国家殿が子供っぽいのは、もう諦めたほうが」

「オットー、お前は思ったことをズバズバ言うのをやめたほうが良いと思う」

言いながら、ヴィルヘルムに望遠鏡を渡す。

ヴィルヘルムは少し眉間にしわを寄せつつ、渡した望遠鏡を覗いた。――すぐに、そのしわが増えた。

「――おかしい」

「え?」

「我が軍の兵の数が少ない」

ヴィルヘルムの口から飛び出した言葉に、俺は――おそらくビスマルクも――耳を疑った。しかし、あのモルトケが、拳をテーブルに叩きつけていた。

「どういうことだ、モルトケよ」

ヴィルヘルムが、あくまで冷静にモルトケに訊ねた。モルトケは、今までで一番不安そうに、

「フリードリヒ・カール王子殿下が、王太子殿下に“側面から援護するよう”、要請をなさっていたそうです」

と告げた。

「陛下、望遠鏡をお借りします」

ビスマルクが、今の報告に驚愕しているヴィルヘルムの手元から、望遠鏡をひったくった。“お借り”すると言った割に乱暴なやり方だった。当然、ヴィルヘルムは顔をしかめた。ビスマルクは、「失礼」とだけ呟いて望遠鏡を覗く。

「――今のところ、ビストリッツ川の方で戦闘が行われていますが、戦況に異常は――」

「しかしこのままでは圧されるぞ」

ヴィルヘルムが焦燥の表情で呟く。

「この戦いでオーストリアに勝ちを譲ることは出来ねえな……」

俺はそう言うと、馬の方へ走った。

「プロイセン?!」

「国家殿?! 一体何をなさるおつもりですか?!」

ヴィルヘルムとモルトケが叫ぶのが聞こえた。青毛の愛馬に乗りながら答える。

「司令官達がそんなに辛気臭いと士気に関わるだろうが! だから気分転換にフリードリヒを呼んで来てやるぜ!」

「馬鹿な!」

ヴィルヘルムが叫ぶ。

「そのくらい伝令に任せておけば良かろう! 国家の化身が、そんな易々と危険な前線へ出て行かなくとも――」

「やだね」

俺はきっぱりと答えた。

「国家の化身だからって特別扱いすんな。俺は俺だ。俺は前線へ出てえんだよ、それだけのことだ」

さすがにヴィルヘルムはぐうの音も出なくなったようだった。そんなヴィルヘルムの代わりに、ビスマルクが口をきいた。

「国家殿!」

俺は馬の足を一旦止めて、ビスマルクの方を振り向いた。鉄兜と一緒に、

「怪我をなさらぬよう、全速力でお願いします!」

という言葉を投げて寄越される。俺は自国特有の、ピッケルの形の飾りの付いた鉄兜を被り、にやりと三日月のように嗤った。


   *


 早くも我がオーストリア軍には焦りの色が見え始めていた。

 以前プロイセンと共にデンマークと戦ったシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争。今思えばプロイセンは、この時のためにあの戦争を仕掛けたのかも知れない。他国の軍であれ、味方ならば互いの軍の様子――例えば軍備の違いなど――を見ることも多くなるだろう。

 そう、互いに。

(あの時、貴方達は私達を監視していたようですが、逆に私達も貴方達を監視していたのですよ)

この先――それが今だ――プロイセン軍と刃を交えることになるなら、一番の脅威は新兵器であるツンドナーデル銃だろう。何より着目すべきはその射撃の速さだった。その速さに対応するには、速やかに相手の懐に突っ込んで銃剣攻撃を行う他ない。当然、代償は高くつく。兵力の点で勝る我がオーストリア軍でも、それは当然のことだ。

(今、その報いを受けているというところでしょうか?)

実際のところ、プロイセンの兵達は、この戦術さえも見透かしたかのように、自軍へ斬り込んで来るオーストリアの兵士達を冷静に撃ち倒している。そしてますます捨て鉢になる敵軍を冷静に退ける。

(まさに悪循環です……!)

 おまけに先程から自軍の司令官であるベネディクの様子がおかしい。私――オーストリア――はその有様に呆れつつ、話を訊きに行った。

「どうしましたか元帥、自軍は今どのような状況にあるのです?」

「おお、これはこれはオーストリア殿。実は――」

黒い髭の特徴的な陸軍元帥は、とても礼儀正しく挨拶してくると、その挨拶からはとても予想のつかないことを言い出した。

「敵軍はもとより、我が軍の動向も満足に把握出来ていないのです」

――何を訳の分からないことをおっしゃっているのでしょうか、このお馬鹿さんは。冗談はそのくるん髭だけに留めておいて欲しいものです――と言うのはさすがにお下品なので、とりあえず。

「そんなこと言わないでくださいませんか? 仮にも貴方は我がオーストリア軍の指揮官なのですよ。戦況ぐらい、伝令を走らせるなどすれば良いでしょう! しっかりなさい!」

「面目ごいません……」

と、私がベネディクを叱咤していると、不意に砲兵隊が射撃方向を変更すると思しき轟音や怒号が聞こえた。

「何事です?」

ベネディクだけに構っているだけにもいかないので、ひとまず近くに居た兵の望遠鏡を借り受けて、砲兵隊の射撃方向を見る。

「林……?」


   *


 ドゥブ村近郊の丘では、相変わらずプロイセン王ヴィルヘルム一世とビスマルク、司令官モルトケが戦況を見つめていた。しかしヴィルヘルム一世は苛々を隠せない様子で、ずっと同じところを右往左往している。ビスマルクといえば、王からひったく――もとい、拝借した望遠鏡を片手に、ずっと戦場を見ているし、モルトケもモルトケで、つまった鼻を押さえつつ、地図を見ながら王太子の率いる第二軍の動向に関する状況を待っていた。

 ついに痺れを切らしたヴィルヘルム一世が口を開いた。

「プロイセンは無事に命令を届けられただろうか?」

二人は黙ったままだ。王は構わず続ける。

「プロイセン本人はああ言って行ってしまったがな、あの目立つ外見だ。途中で撃たれでもして、――怪我ならまだ良い、戦闘不能の状態に追い込まれていたら――」

王はここで一旦言葉を切って、モルトケを呼んだ。モルトケは一回鼻をかんでから応えた。

「はい、何でしょうか陛下?」

「もしもの時に備えて、撤退の準備は済ませてあるかね?」

「ありえません」

将軍はぴしゃりと即答し、しつこくつまる鼻を押さえて続けた。

「我々は国家の命運を賭けて戦っているのです。ここで撤退など出来ません」

 モルトケはそう言うと、また地図のほうに戻ってしまった。ヴィルヘルム一世は未だ煮え切らない表情をしている。それを見たビスマルクは、王に声をかけた。

「陛下。お言葉ですが、近頃の陛下のお言葉は、あまり陛下らしく無いかと存じます」

「なんだと?」

あまりにおこがましい宰相の言いように、さすがのヴィルヘルム一世も動揺した。ビスマルクは物怖じすることなく続ける。

「陛下はお若い時分から、一時期は“榴弾王子”とまで称されていたお方で、今も相変わらず武断派でいらっしゃいます、が。昨今の陛下の言行は弱気ととれるものが多くございます。陛下にはもっと自信を持って戴かなければ」

ビスマルクは毅然とした態度でそう言うと、

「言が過ぎましたこと、お許しくださいませ」

とだけ付け加えて、まだ何か言いたそうな王に一礼すると、戦場の方へ視線を移した。

 ふと、敵軍が動きを変えたのがビスマルクの目に入った。敵の砲兵隊が、射撃方向を変えたようだった。ビスマルクはその先を見た。

(林か?)

彼はそれを凝視した。“林”のようなそれが動くのを認めると、ビスマルクは彼が自分の思っているものだという確証を得るため、モルトケを呼びつけた。

「モルトケよ、確認してほしいものがあるのだが――」

ビスマルクは将軍に望遠鏡を手渡すと、彼に見て欲しいものの居る地点を教えた。モルトケはビスマルクの言う通りに、その“林”を見た。モルトケは驚きと喜びのあまり、その“林”を二度見した。しかし、何度見ても、それは彼と宰相の考えた通りのものだった。

「陛下! あれをご覧くださいませ陛下!」

モルトケはヴィルヘルム一世を呼ぶと、望遠鏡を王に差し出した。ヴィルヘルム一世はそれを受け取ると、彼らが“林”だと思っていたものを見た。

「陛下、勝負はついたも同然です。国家殿は見事王太子殿下を導いてくださいました。陛下のお望み通りでございます!」

その“林”は見紛うことなく、プロイセンが“連れてくる”と豪語した、フリードリヒ王太子率いる第二軍だったのだ。

ヴィルヘルム一世は、その中にプロイセンのあの三日月のような笑みを見た気がした。


   *


 敵の第二軍が到着したという報告を私が聞いたのは、その敵のプロイセン軍から奪ったクルムでのことだった。

「やはりあれは敵の増援でしたか」

あのプロイセンが三日月のようにほくそ笑む顔がうかんで、一瞬頭が痛くなった気がした。

「しかし、これだけの異常事態が起きているというのに、あの司令官は何を考えているのでしょうか」

私は思わず、口に出さずに留めておくべきことを言ってしまった。それに答えたのは、司令官と同じく陸軍元帥のラミングだった。

「奴はもう完全に、この戦の状況を掌握どころか把握すら出来なくなっているのです。伝令が走れないのなら自分が走れば良いものを、あの頓馬――」

「そのような卑語はつつしみなさい!」

「申し訳ありません、帝国殿」

司令官は自ら動くものでもないとも思うのだが。とは言え、数多の砲弾が飛び交い、その砲弾が吹き飛ばした家屋のガレキで、多くの兵が生き埋めになっているというこの状況を思えば、出て来たくとも出れないのだろうが。

「でも、敵の増援がやって来た今、何とかこの状態を打開しなければ、我が軍の負けは必至です」

 何とかしなければ。そう思っていた時。

 不意に、砂埃の向こうに、あの銀髪赤眼の男の顔が見えた。

(おそらく、増援を連れて来たのは彼でしょうね)

もし、それが本当ならば、その男は軍を呼んで来た後もずっとこの最前線で指揮をとっていたことになる。ならば。

(彼を倒せば、指揮に乱れが……否……)

彼もまた、私――オーストリアと同じく国家の化身である。彼を倒せば、指揮を乱すどころか、あるいは、この戦いで勝利を手にすることも可能ではないか。

「ラミング陸軍元帥」

私は彼を呼ぶと、

「少しの間、この場をお任せしてもよろしいでしょうか?」

と訊いた。ラミングは一瞬、何のことか分からない、といった表情をしたが、プロイセン軍のほうを見て察しがついたようだ。

「構いませんが……、決着をお着けになるおつもりで?」

ラミングが訊ねてきた。時折、砂埃の間から見える、彼が甲斐甲斐しく指揮をとる様子を見ながら、私は答える。

「それもあります。彼はこの戦いでどちらがドイツ統一の主導権を握るのか決めてしまうつもりでしょう。そうなれば、もうこうして刃を交える機会など無くなってしまいます。それに、未だ一矢報いることも出来ずに終わるなど、私は嫌ですよ」

国民の皆さんの命まで賭けておいて、申し訳ないですが、と付け加えるのを、私は忘れなかった。彼は「そうですねえ……」と呟くと、

「承りました」

と言ってくれた。

「私は帝国殿がお戻りになるまで、この場を死守致します」

「いえ、司令官の命令には従ってください」

私はぴしゃりと言った。ラミングにはきちんと言っておかないと――今回、命令を与えられていないのに飛び出して来て、怪我の功名でクルムを奪えたとはいえ――司令官をまた頓馬だ木偶だと言って、命令違反をするかもしれない。これ以上の混乱は防がなければ。ラミングは渋々といった感じで、

「了解しました」

と答えた。私は連銭葦毛の愛馬のあぶみに足をかけつつ、

「よろしく頼みます」

と言った。――綺麗に鞍にまたがる。

「お気を付けて」

そのラミングの言葉に、私は微笑みを返して、未だ大砲の爆音が轟き砂埃とガレキの舞う最前線へ突入した。

  • 初出:pixiv「【ヘタリア】栄光のtimen Sie Null 《2》 中編」2012年3月2日投稿
  • 参考書籍
    • セバスチァン・ハフナー『図説プロイセンの歴史―伝説からの解放』東洋書林
    • ジェフリー・リーガン『ヴィジュアル版 「決戦」の世界史 歴史を動かした50の戦い』原書房
    • 渡部 昇一『ドイツ参謀本部―その栄光と終焉』祥伝社
    • 日本語版Wikipediaより、『オットー・フォン・ビスマルク』『ヴィルヘルム1世』『ヘルムート・フォン・モルトケ』

栄光のtimen Sie Null 〈2〉後編

 我がプロイセン軍第二軍は、オーストリア軍からクルムを奪回するため、敵軍の右翼を強襲していた。

「あの親爺、自分のことを“大砲王”なんて称することはあったみたいだな」

そう呟きながら、俺――プロイセン――は大砲が火を吹くさまを見ている。その砲弾が榴弾が弾筒が家屋や様々なものを吹き飛ばす様子は、我ながら凄まじいものを使っちまったと思った。それらの間をくぐり抜けて来る奴らは――敵兵とはいえ――惜しい者を亡くした、とも思った。さすがにこちらにも意地があるので倒さざるを得なかったが。

(だって敵だしな)

そんなことを考えながら指揮をとっていたら、気になるものが目に飛び込んで来た。妙な格好をした騎兵が、こちらへ突っ込んで来るのが見えたのだ。

服装からして敵兵であることは間違いない。だが、その騎兵は馬に乗っているくせに白い上着――通常ならそれは歩兵が着ているものだ――を着用していた。そんな歩兵が騎兵の馬とブーツを奪って来たかのような格好に、俺は一瞬爆笑しそうになったが、その騎兵もどきをちゃんと確認すると、そんなものはすぐに引っ込んだ。――“あいつ”だ!

 “あいつ”がこちらへ突っ込んで来る。あくまで“国”である“あいつ”が、わざわざ敵陣へ――しかも単独で――斬り込んで来たのは、十中八九俺が狙いだろう。こちらの指揮を乱すにしろ、単に俺との決着が目的にしろ、俺を倒せば戦いの趨勢は逆転するに等しい。逆に俺が勝ったところで、この戦争はプロイセン軍優勢で終わることに変わりない。せいぜい“優勢”が“確実”になるだけだ。けれど、

(単に決着をつける、ってだけでも、挑まれたら断れねえな)

「面白え」

俺は愉しくなってきて、自分の口が三日月形に歪むのを感じた。俺は声高に部下に命じた。

「馬を引け! あと、あの白い騎兵には手を出すな。あれを撃ち倒そうとしたところで弾薬の無駄だし、何より俺の獲物だ!」

すぐに俺の部下は愛馬を引いてやって来た。その青毛の愛馬に素早く乗ると、俺は味方の陣地を抜け、白い騎兵の元へ向かった。


   *


 砂埃と砲撃の酷い激戦地を抜けると、すぐに敵陣が見えた。灰緑の軍服を着込んだ兵が、かなり精度の高い速射で迎え撃って来たが、それもすぐに止んだ。代わりに、それを指揮していたであろう男が、陣地から青毛の馬で飛び出して来た。

(こちらの思惑が分かったようですね)

間もなく、私――オーストリアとその男は落ち合った。

「よう、オーストリア! よくもあの砲弾の雨をくぐり抜けて来れたな!」

その男――プロイセンは、どこか愉しそうにそう言った。その表情に私は苛立ちを隠せない。たまらず言い返す。

「さあ? 貴方達の砲の狙いが上手いのではないのですか?」

「ああそうかい」

プロイセンは私の言葉が煩わしいといったふうな顔をし、

「それで?」

と打って変わってノリが良さそうに話しかけてきた。

「狙いは何だ? 我がプロイセン軍の指揮系統への妨害か、それとも俺自身?」

「両方ですよ」

私は即答する。

「どちらにしろ、一矢報いずに終わるなど、私は嫌ですし、貴方も私と決着をつけたいからこそ、兵に銃撃を止めさせたのでは?」

彼は答える代わりに、気味の悪い薄ら笑いを浮かべた。

「まあ良いです。私も早く済ませたいので、始めませんか?」

私は抜剣する。自分でも驚く程に最近は気が短いということに、今更気付いた。

「そうだな」

プロイセンも答えるように剣を抜いた。さすがに互いに互いの命運を賭けた戦いだ、へらへらと剣を振るうなど許されないし、許さない。彼の表情も真剣そのものとなる。

「さあ来い、仕掛けて来たのはそっちなんだからな!」

その言葉に、互いにこの時だけ“容赦”というものを忘れ――

「無論、そのつもりですが?!」

私は、彼の胸の一点を突くため、全力で突進した。


   *


 坊っちゃん――否、オーストリアが突撃してくる。低い姿勢で剣を構えての馬での突撃攻撃は、槍騎兵を連想させた。

オーストリア軍は、見る限り兵達もまだ勇敢に戦っているとはいえ、だいぶ混乱していて、クルム奪回も時間の問題だ。オーストリアは結構落ち着いて見えるが、この戦いを長引かせることはしないだろう。

(元々戦いに向いた性格でもないしな)

どちらにしろ、奴は短期決戦を望んでいるはずだ。

ならば、一番手っ取り早く相手を倒すために急所を狙ってくると、俺はアタリをつけた。

(さて、首か胸か)

オーストリアが半ば狂気じみた気迫で迫ってくる。その切先は首よりも低いところを向いている。

(胸か!)

オーストリアがすれ違いざまに、俺の胸を突いてきた――が、

「甘いな」

俺は奴の剣を薙ぎ払うと、そのままの勢いでその女々しい顔を狙って斬りつけた!

「ッ?!」

オーストリアは、そこで日頃見せない――悔しいが、これは俺も褒めざるを得ないのかもしれない――運動能力を見せた。

顔を不快感で歪ませながらも、紙一重で刃をのけ反って避けたのだ! オーストリアは俺の少し後方で一旦止まると、馬を旋回させた。

「何をするのですか!」

奴はそう言い放ちながら、再び突っ込んで来た。互いに遠慮は無用とはいえ、さすがに今のは腹が立ったのか。今度は刺突ではなく、斬撃が襲ってくる。俺も剣で受け止めつつ言う。

「ああ、良く言うだろ、『大人しく退かねば、その顔に傷が付くぞ』ってやつ。お前も女々しい顔してるし、顔に傷の一つでも付ければ、良い感じに貫禄が付くかと――」

「無用な心配です!」

剣を離し、すれ違いつつ斬り付けてくる。俺はそれとは逆側に体を傾け――あぶみに体重をかける形となる――かわすと同じく、こちらも相手の肩を薙いだ。当たるのは初めから期待していないが、思った通り、相手の攻撃が浅くなった。

 オーストリアが再び突撃の構えを見せたところで、俺は奴に向かって言葉を投げた。

「お前も敵に突っ込むの好きだよなあ?!」

オーストリアは眉をひそめた。何のことかさっぱりなのだろう。俺は続ける。

「戦術だ戦術! この戦争中ずっと、お前らオーストリア軍の歩兵は、我が軍の陣地へ突撃ばかりしてきただろ?」

オーストリアは黙って聞いてはいるが、眉間のしわはより深くなっている。

「おそらく前のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争で我が軍の装備を見て考えついたんだろうが、――まあこれはこれで状況次第では使える戦術だが――それにしても大きく出たな。そこまでして古い装備に固執する理由が分からねえよ」

「何が言いたいのです?」

さすがのオーストリアもたまりかねたのか、口を開いた。

「何故そこまで古いモノに固執するのか俺は全然分からねえんだよ」

俺はオーストリアに向かって言い放つ。

「古い装備に、旧態依然の軍。おまけに腐れ縁ときた。俺はそんな余計なモノまで新しい国に引き継がせる気はねえ。そんなの鼬ごっこと変わらねえからな」

「それがどうしました?」

オーストリアは平然として――一瞬表情を変えたようにも見えたが――答えた。しかし厳しい顔をしている。

「古いモノであろうと無かろうと、私の一部ですから。私は私の――オーストリアの総てを賭けて戦うだけです」

(“私の”?)

俺の頭の中に、その言葉が引っかかり、

(ああ、そういうことか)

途端に腑に落ちた。小さく嗤う。どうやら相手には気付かれていない。

「決着をつけましょう、プロイセン! 互いの命運を賭けて!」

オーストリアが叫び、剣を構え直す。紫色の瞳に闘志が見え隠れしている。

「望むところだ、オーストリア! 我がプロイセンと全ドイツの命運を賭けて!」

俺も馬の頭をオーストリアの方へ向け、剣を構えた。互いに一瞬だけ動きを止め――、次の瞬間、示し合わせていないのに同時に互いに向かっていた。互いの剣の刃が閃光となって互いに襲いかかり、そして――!


   *


 「……? 止んだ……?」

俺――ルートヴィヒだ――は急に、体中の痛みが引いていく――とはいえ、針で突かれているような痛みは、未だに残っていたが――のを感じて、直感的に、そう思った。ずっと俺の様子を傍観していたであろう、小さい頃の姿の“俺”が

「そうか……」

と呟く。

「それで、」

痛みがある程度治まったところで、次はこちらが話しかけた。

「今になって、何で急に俺である“お前”は俺に過去の出来事を思い出させているんだ?」

“俺”は無表情で黙ったままだ。

「少なくとも、俺にはこんな過去を体験した覚えは今までさっぱり無かったし、今の“お前”の口ぶりからすると、やはり“お前”が俺に思い出させているとしか考えられないんだが」

俺がそこまで言ったところで、“俺”はやっと口を開けた。やはり無表情のままだったけれど。

「それは、俺が出てきたのは、“お前”に警告するためだ、ルートヴィヒ」

「“警告”?」

それこそ覚えの無い言葉だった。――俺が覚えていないだけかもしれないが。

「何の“警告”なんだ?」

俺は“俺”に訊ねた。“俺”はあまり感情のこもっていなさそうな声で喋る。

「どうやら“お前”は何故、彼らが戦争をしているのか分かっていないようだから話すが、一口に言えば――」

俺を指して言い放った。

「“お前”を再び“国家”にするためだ」

その突然の暴露に、俺は衝撃を受けつつも、どこか納得したような、腑に落ちたと言うべき感じを覚える。確かに、俺は“国家”かもしれない、とは思っていたのだが、“再び”というのが分からなかったのだが、“再び”というのが分からなかった。ふと、目の前にいる“俺”が視野に入り――途端、頭の中で嫌な推測が組み上がる。

「まさか、“お前”は――否、俺は――ッ?!」

その“名前”を口にしようとした瞬間、頭を思い切り硬い物で殴られたような、激しい痛みを感じた。半ば強制的に視界が閉じる。その時、“俺”の口が、俺の推測を肯定する言葉を紡ぐのが見えた。


   *


 互いの馬のひづめの音が聞こえなくなった。

俺――プロイセンは、何も斬れていないのを認めると、確かに何かを斬ったという確信を持って顔を上げ、相手の方を振り向いた。相手――オーストリアは、うなだれた姿勢で右手に折れた剣を持ったまま、腕をぶらんと下げ――もう片方の手で脇を押さえていた。よく見ると、軍服が裂けているようだった。出血しているかどうかは分からない。

「また、負けてしまいましたか……」

オーストリアが言った。怒っているか、悔しがっているかもと思ったが、意外に落ち着いた声色だった。不思議と安心する。

「一矢も報いることさえ叶わずに終わってしまいます……」

その哀愁を帯びたような声に、俺は思わず、

「おい」

と呼びかけてしまった。

「またしたいんだったら、俺はいつでも受けて立つぜ!」

まるで子供達の遊びの約束のように、そう話すと、

「そうですね――是非、次の機会に」

そうオーストリアは返してくると、一度も振り返らないまま、自軍の陣地へ戻って行った。向こうの方で「全軍撤退!」と叫ぶ声が聞こえたのだ。

(“次の機会”はもう無いだろうけどな)

 間もなく追撃が始まるだろう。既に砲兵隊が撃ち合う音が聞こえている。俺も追撃に参加しようと、味方の陣地へ戻ろうとした、その時。

「国家殿ー!」

俺を呼ぶ声に振り返ると、何とヴィルヘルムやビスマルク、モルトケが、こちらへ来るところだった。

「よお」

三人に笑って手を振って応えると、

「“よお”ではないぞ、プロイセンよ!」

ヴィルヘルムが怒った様子で口を開いた。

「お前という奴は! 第二軍を呼び戻すまでは良い、むしろ大儀であった。しかしだ! そのまま前線に残って指揮するどころか、敵の兵と直接剣を交えるなど! お前は“国”なのだぞ?!」

「あー、はいはい」

「“はい”は一回で良いとずっと言い続けておるだろう!」

ヴィルヘルムは言い始めるとキリがない。そろそろ止まないかな……? 小指を耳に突っ込んで気が済むのを待っていると、

「陛下、どうかそこでお止めくださいませ。国家殿がうんざりしておられます」

とビスマルクが割って入ってきた。あと、二言目は余計だ。しかし、この言葉はそれなりに効いたようだ。ヴィルヘルムは未だ言い足りないようではあったが、黙ってくれた。

「それに、一刻も早くオーストリア軍を追わねばなりません。戦はまだ終わっていないのですから」

モルトケが言う。ヴィルヘルムも、それに同調して、

「そうだな、早く奴らをウィーンまで追い返してやらねば」

と言った。皆、あのオーストリアの顔に泥を塗ってやりたいのだ。勿論、俺もそうだったから、話に便乗しようとしたら、

「その事なのですが――」

ビスマルクが、俺の言葉を遮った。


   *


 その日は、俺ことフランシス・ボヌフォワにとって、普段と何ら変わらない一日になるはずだった。その予定だった。

 そう、その朝もまた、普段と変わらず着替えて、新聞をゆっくり読みながら食事が運ばれてくるのを待っていたんだ。でも、その新聞が問題だった。

 俺はちょうど運ばれてきたコーヒーを口に含みながら、新聞の一面の見出しに目をやったんだ。そして、その見出しを見た瞬間。

「~~~~ッ?!」

吹いた。盛大に吹いた。もう近くに居たお姉さんや女の子やご婦人や――つまり可愛い子達だ――、良い年の男達が揃って目をまん丸にしてドン引きするくらいに、思い切りコーヒーを吹いた。本当に申し訳なかったけど、俺は片付けそっちのけで新聞――幸いにもコーヒーの染みは点々が二、三付いた程度で済んだ――を、覚醒しきった目で二度見した。しかし何度見ても、見出しの内容は『サドヴァーの会戦でオーストリアがプロイセンに壊滅的敗北を喫した』だった。

「や、えっ? 嘘だろ……?!」

残念だけど、“新聞の文字がひとりでに変わる”なんて怪奇現象は起きる訳がない。

 俺はすぐに、メイドのご婦人や使用人のお兄さん方に命じて、すぐに宮殿へ行く――否、皇帝ナポレオン三世に会う仕度をした。これは緊急事態だった。だってそうだろ? もう少ししたらあの戦争に鑑賞してやろうと思ってたのに、その前にその戦争が終わろうとしてるんだから!

 仕度がてら、官僚達に電話をかける。

「何寝惚けてんの?! 早く起きて新聞見て! ……え、何? ……『お前は何を騒いでいるんだ?』 ハ? もうお前、セーヌ川に飛び込んで来いよ一回」

一旦電話を切ると、俺は柄にもないのに思わずテーブルをグーで殴りつけていた。


   *


 刺すような痛みで目が覚めた。

 俺は覚えの無いまま、レンガ造りの物置きのような部屋の、今にも壊れそうなベッドの上で寝ていた。――何やら外が騒がしい。

 小さい窓が一つだけあったので、妙に重い体を動かして、そこから外を見る――剣や砲や、よく分からない武器を持った兵が、沢山出入りしているらしかった。この辺りではあまり見かけない色使いの軍服を着ているから、もしかしたら俺の知らない間に敵に攻められたのかもしれない。

(こんなところでじっとしている場合じゃない!)

俺は重い体を引きずって――しかしこの状態では戦いに参加することもままならないということも忘れて――扉の方へ向かった。自国の王を土地を民を守るのが“国家”である俺の役目だ。こんな時に寝てるなんてことは――! 扉のノブに手をかけようとした、その時だった。

 俺が扉を開けるより早く、鍵が開き、扉の開く音がし――

「見ーつけた」

金髪碧眼の、明らかにこの国の者ではない男が立っていたのだ。

「×××××」


   *


 「ルートヴィヒ」

名前を呼ばれて目が覚めた。あまり思い出したくない夢の内容の割に――もしくはそのおかげなのか――すっきりと目が開いた。

 最後に意識が落ちたのはテーブルの辺りで、床に倒れたはずだが、その後ベッドに寝かされたらしい。

 声の方を向くとローデリヒが立っていた。

「ローデリヒ? 戦争に行っていたんじゃないのか?」

俺はローデリヒに訊ねた。ローデリヒは少し驚いた顔をして、

「ああ、ご存知でしたか」

と答えた。そういえば、夢の中で“俺”に聞かされた他に、“ローデリヒと兄さんが戦争している”なんて聞いていないのだった。――そう思うと、疑問がいくつも湧いてきた。体を起こす。体はもう痛まなかった。

「もう動いても良いのですか?」

ローデリヒが体を支えようとしてくるが、それは無用だった。

「ああ」

と答え、湧いてくる疑問を口にしようとしたが、ローデリヒに制止される。代わりに、

「すみませんがルートヴィヒ、その前に私の頼みを聞いてはくれませんか」

ローデリヒはそう言った。不意に、ローデリヒの軍服の脇のところが裂けているのが目に入り――俺は直感的に、それは兄さんがやったものだと思った。

「お願いします」

ローデリヒが再度、切迫した様子で言った。俺は首を縦に振った。


   *


 俺達プロイセン軍は、ケーニヒグレーツからオルミュッツを通過し、ボヘミアのニコルスブルグへ進軍していた。オーストリア側から休戦の申し出があったのだ。

 俺――プロイセン――は共に交渉に参加するビスマルクと別れ、議場に先に着いているであろうオーストリアに会いに行った。古い、足音の良く響く回廊を抜ける。すると、長い回廊の向こう側からも足音が聞こえてきた。あいつも考えていることは同じか――そう思ったが、足音の数が――響きが良すぎて分かりづらいのだが――少し多い気がした。

(まさか、自分の味方に回った諸国全員を連れてやがるんじゃ……?)

そんな実現していて欲しくない考えが頭をよぎったが、音の数やら響き方からしてそんなことはない、という結論に達した。

(けど、誰を連れてやがるんだ?)

少なくとも上司ではないだろう。今頃は俺のところの――プロイセン首相であるビスマルクと会っているはずだし、国は国が相手をするという慣習だ。国同士の会談の場に上司がいる、なんて聞いたことがない。

 その答えは曲がり角にさしかかったところで出た。――背が伸びたなあ。

「ルッツ」

口を切って出たのはその名前だった。ルッツが、ルートヴィヒが、オーストリアの横に並んで歩いていた。

 互いに距離を置いて立ち止まる。

 ルッツは、俺の見ないうちに、背丈が俺やオーストリアと同じくらいに伸びていた。きっちりと着込んだスーツが――俺とオーストリアは軍服のままだ――それを際立たせている。

 俺は思わず嬉しくなって、

「ルッツ!」

そう俺の弟の名前を呼んで、歩み寄ろうとした。ルッツも、

「兄さん」

と俺を呼んで、一歩前へ出ると――

 ――金属のぶつかり合う音がした――

 左手に銃を構えて、

「そこで止まってくれないか?」

 そう冷たく言い放った。

「ルッツ?!」

俺はルッツの行動に驚愕した。訳が分からない。この戦いはルッツのための戦いとはいえ、ルッツがこんな行動に出る理由は無いはずだ。

(否、落ち着け――)

良く考えれば――考えずとも――理由はあった。俺はオーストリアを睨めつける。

「おい、オーストリア! お前――」

「違いますよ」

オーストリアが、俺の推測を否定する。

「確かに、私はルートヴィヒに“第三者として”この会談に参加して欲しいと依頼しましたが、貴方を“銃で脅せ”とは一言も話してませんよ」

オーストリアは鋭い目付きでこちらを見てくるが、嘘を吐いているとも思えなかった。疑いたくはなかったが、ルッツの方を向く。ルッツは相変わらず、俺に銃口と強い視線を向けてきている。

「そうなのか、ルッツ?」

俺は訊いた。ルッツは表情を変えずに、

「そうだ」

と答え、

「俺はあくまで第三者のつもりだし、こうしているのは提案を押し通すためだ」

「へえ?」

俺は、俺がこれからルッツに教えようと思っていたことを、既に学んでいたことに感心した。

(さすがルッツ)

しかし、“これ”は分かっているんだろうか? 俺は腰のホルスターに手を伸ばす。

「! プロイセン!」

オーストリアが気付いたようだが、もう遅い。

 ――金属のぶつかり合う音が鳴った――

「じゃあ押し通してみろよ」

俺はルッツに言い放つ。オーストリアはうんざりした様子で頭を抱え、ルッツは驚いたのか目を丸くしている。

(ああ、“これ”は知らなかったのか)

俺はルッツに厳しい目を向けて言った。

「良いか、銃を向けて良いのは、自分に銃口が向けられる覚悟のある者だけなんだ。覚えとけ」

しかしルッツは覚悟を決めた表情で、なおもこちらに銃を向けている。

「二人共! 銃を下ろしなさい! 貴方達が争ってなんの意味があるのですか?!」

オーストリアが叫ぶ。なるほど、その言い分はごもっともだ。けれど、今銃口を向け合っているのは俺とルッツだ。

「とりあえず、お前は今は黙ってろよ」

俺はオーストリアを威喝する。今度はオーストリアは居竦まったようだ。

「俺はルッツが発砲なんてしない限りは撃たないつもりだ。提案を話せ、ルッツ」

俺はルッツに言った。

ルッツは銃を下げないまま――一瞬オーストリアをちらりと見て――話す。

「ウィーンには攻め込まないでくれ」

「理由は?」

俺は訊いた。勿論、俺も銃を下げていない。

「理由もない提案に付き合う程、俺も暇じゃないからな。理由を話せよ」

「兄さんや兄さんの上司が必要としていたのは、“ドイツ統一の主導権”だろう?」

「ああ」

ルッツの問いを、俺は肯定する。俺は統一した後のドイツに、腐れ縁を持ち込もうとするオーストリアと、その影響力を除きたかっただけだ。

ルッツは続ける。

「オーストリア皇帝はこれ以上の戦争を望んでいない。負けを認めたも同然だ! つまり既に兄さん達の目的は達成されている。兄さんは無用な争いを好むような馬鹿ではないだろう?」

ルッツはかなりしっかりした物言いで意見を言ってくる。俺も感心しきりだが、

「だがなルッツ、俺は“国”だ」

俺はあえて反論した。

「上司の中には、今お前の言った“無用な争い”をしたい者も多くいるんだ。『今まで散々辛酸を舐めさせられてきたオーストリアに屈辱を!』ってな」

ルッツはオーストリアが気になったのだろう、一瞬視線をオーストリアに向けた。そのオーストリアは気まずそうに目線を外している。

「兄さんは、その相手が同盟相手でも、屈辱を与えるというのか?」

ルッツは突然とんでもないことを口にした。え? “同盟相手”?

「ルッツ、今、お前“同盟相手”って言ったのか?!」

耳を疑うような言葉に、俺は訊き返さざるを得なかった。オーストリアも、その衝撃的な発言に目をぱちくりさせている。ルッツだけが落ち着いた様子で

「ああ」

と返事して、

「将来別の国と敵対することになった時、オーストリアは同盟を組む相手には持って来いだとは思わないか?」

そう話した。なんだか、妙に笑いがこみ上げてきた。ルッツに眉をひそめられたが、気にせず訊く。

「ルッツ、お前、正気?」

ルッツは戸惑いを隠せない様子だったが、

「俺は至って正気だが?」

そう答えた。俺はこみ上げる笑いを抑えて、

「面白い提案だ! 良いぜ、その提案、受け入れてやるよ」

そう言った。ルッツは訳が分からないといった様子だったものの、安心しているようだった。もう互いに銃口を向けていなかった。


   *


 俺、ルートヴィヒと兄さんことプロイセンの交渉が終わったところで、一人だけ納得のいっていない顔のオーストリアが口をきいた。

「しかし、良いのですかプロイセン?」

「は? 何が?」

兄さんがオーストリアの方を向いて訊いた。オーストリアは納得こそいっていなさそうだったが、毅然とした態度で、

「貴方の上司が、私への――オーストリアへの雪辱を望んでいるのでしょう?」

そう言った。確かに、これは非公式の場なのだから、提案が“きちんと”通った、とは言えないはずだ。

「それに、未だ“仲介”も来ていないのに――」

「“仲介”? 俺の他にも第三者が来るのか?」

オーストリアの言葉に、俺の聞いた覚えの無い事柄が混じっていた。オーストリアは思い出したように、

「すみません、ルートヴィヒには言い忘れていたみたいですね。実はもう一人、“仲介役”として――」

「良いじゃねえか、フランスぐらい」

兄さんが割って入る。

(フランス?)

――それが“フランス帝国”ということは分かったものの、頭が鈍く痛んだ気がした。

「だいたい、今のルッツの提案は、偶然にも俺の国の首相の主張と同じだったから、上司の意見は気にしなくても良い。通ってるのと同然だからな!」

兄さんが笑って言う。嬉しそうに俺の肩を叩きながら続けた。――妙に嫌な予感がする。

「さすがドイツだ!」

そう言って褒められる。――が、オーストリアが吃驚した表情で――しかし辻褄が合ったような様子で、

「やはり、貴方はルートヴィヒをドイツにするつもりですか……?!」

と兄さんに訊ねた。兄さんはしれっとして、

「当たり前だろ? さすがに俺だと、他の奴らをまとめ上げたところで誰もついて来ないだろうが、元・神聖ローマ帝国であるルッツがドイツになれば、喜んでまとまるだろ」

と言ってのけた。“神聖ローマ”。

 そこで突然、血の気と力とが抜けて、俺の脚がくずおれた。頭が割れるように痛い。

(ああ、前にも。こういうことが、あった、ような――?)

頭痛が酷くて耳鳴りがして今にも意識が飛びそうだったが、それは割とすんなりと思い出せた。誰が何を言っているのかさっぱり分からなかったけれど。

(やはり、そうか――)

口論になって分からなかったのか、耳鳴りで聞こえなかったのか、やっと兄さんやオーストリアが俺を呼ぶのが聞こえた。

(俺は――)

しかし、俺は酷くなっていく頭痛と耳鳴りに耐えられなくなり、意識を

(神聖ローマだったのか――)

落とした。

  • 初出:pixiv「【ヘタリア】栄光のtimen Sie Null 《2》 後編」2012年3月8日投稿
  • 参考書籍
    • セバスチァン・ハフナー『図説プロイセンの歴史―伝説からの解放』東洋書林
    • ジェフリー・リーガン『ヴィジュアル版 「決戦」の世界史 歴史を動かした50の戦い』原書房
    • 渡部 昇一『ドイツ参謀本部―その栄光と終焉』祥伝社
    • 日本語版Wikipediaより、『オットー・フォン・ビスマルク』『ヴィルヘルム1世』『ヘルムート・フォン・モルトケ』
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