黒山羊塔

02:戦争論

 連邦議会での会議がやっと終了した昼前。見上げても窓も空もない地下室の天井を仰いだその時、珍しくポケットの中の俺のケータイが鳴った。

 着信音には何のこだわりもないので、支給された時のまま。それが余程地味なのか、シュミットがたまに遠慮がちに、「変えないんですか?」と聞いてくる。連絡以外に大して使う用事もなく、ブリュールの様にミーハーでもなし、使い方もよくわからないから、変える気力も無いのだが。

 とにかく、ピピピピピとかしましく鳴り続けるケータイを放っておく訳にもいかないので、まだ部屋に居る者達に視線を送った後、俺は慣れない手つきでケータイのメニュー画面を開いた。

 ……メールフォルダの表示に変化があるので、どうやらメール着信だったようだ。新着メールを開く。――どうやら一番面倒くさい相手からのようである。

To:

ナイトハルト卿

Subject:

すみません

Body:

情けないことに迷子になってしまい、国防省まで帰れません。迎えに来ていただけませんか?

 ――なんでこの年で迷子なんかになるんだ。

 俺は独りごちる。確かにブリュールは誰かに会いに行くと言っていたが、迎えに行くにも、俺は奴の行き先など聞いちゃいない。

「この後は他に何かあったか、イェーガー?」

俺は会議に出ていた一人の男に質問を投げた。イェーガーは掛けた眼鏡を直して、一言

「特には何も」

と告げて、早々に立ち去った会議出席者の後を追って行った。仕方がないので、ケータイのボタンの文字配列だの変換だのに悪戦苦闘しながら返信する。

To:

ブリュール

Subject:

RE:すみません

Body:

なぜ迷子などになるんだ?

取り敢えず連邦議会まで歩いて来い。

 これだけの短文を打つのに、俺には一種の達成感さえ感じられる。普通の手紙ならばささっと書けるのに、現代人がこっちのほうが簡単だというのだから俺には分からない。

 とか考えている間に、ブリュールから返信が来た。早過ぎるだろ。なんであいつは楽に返信が打てるんだ?

To:

ナイトハルト卿

Subject:

RE:RE:すみません

Body:

ありがとうございます。

そこなら行けそうです。正面の広場で待ってますね。

 連邦議会にも、国防省と同じように地下室がある。シュミットという一番の若人――というより、唯一の現代人といったところか――によると、ベルリンの政府機関の地下室は、『旧体制によって蘇らせられた過去の偉人が棲んでいて、密かに国家に貢献している』とかいう、いわゆる都市伝説の舞台と化しているらしい。すなわち、俺やブリュールや“先生”や――とにかく地下室に棲む者達は、その『旧体制によって蘇らせられた過去の偉人』ということになるが、大して実感はない。というより、いい迷惑だ。

 何故ならば『国家に貢献する』機会など、旧体制の頃から今日に至るまで、与えられた覚えなど一回も無い。仕事を与えられていないのか、と言われれば嘘にはなるが、回ってくるのは、戦史や、自分が在りし日――とでも言えば良いのか――に著した本の改訂版のチェックが良い所である。重要な仕事などはほとんど回って来ないし、回って来たとしても、断ることにしているのだ。だいたい、この会議も慣例的なもので、会議としては機能していない。言うなれば、ただの報告か会話だろう。

 結果として、デスクワークの他は暇なのである。



 連邦議会の地上への出口は、人通りの少ない、かなり入り組んで奥まった場所にある。しかも連邦議会は何年か前に改築し、中央のドームが『政治の透明化』を象徴してガラス張りになり、ますます人通りが多くなっていた。

 別にコソコソする必要など感じないのだが、『地上階に出てくるところを見られないように』と、政府機関のお偉いさんとやらからキツく言いつけられている。

 俺は人のいないのを見計らって地上階へ出ると、ご自慢のドーム見学の観光客や報告を急ぐ官僚の波に押し流されないようにして、やっと外へ出た。

 正面の広場は、ここ数日の三十度超えの暑さのせいか、それとも夏期休暇の真っ只中のせいなのか、日光浴をしている客で賑わっていた。俺は温度計の数値など気にしないが、なるほど、昼の太陽光で焼け付くような暑さである。

 その中では、さすがに奴の姿はかなり目立って見えた。

 鳶色の髪に、この暑さの中で夏期休暇シーズンをガン無視した黒いジャケットにワイシャツという姿で、木の幹に寄りかかりながら涼しい顔、と言うより冷たい表情でケータイをいじっている。

 俺の格好も黒いスーツ上下と、まあ似たようなものだが、さすがに突っ立っていたままでは――シュミットの表現を借りると――鶏のように直火焼きになってしまう。

 木陰のほうが格段に涼しいので、さっさと奴に合流する。

 こちらに気づいたのか、冷徹な造作の顔が、一瞬で好青年の満面の笑顔に変わった。

「あ、ナイトハルト卿! お忙しいところ、わざわざすみません」

ブリュールがケータイをスラックスのポケットに突っ込みつつ言う。

「いや、構わない」

ナイトハルト卿、というのは俺の通称である。自分でも仰々しい通称だと思うのだが、他に名乗るべき名前を覚えていないので仕方がない。

「それで? なんで迷子になんかなったんだ?」

俺の問いに、ブリュールは目を泳がせながら答えた。

「えっと――恥ずかしながら、ちょっと警察に行っていたら道が分からなくなりまして――」

「は? 警察? まさかお前、警察沙汰なんて起こしたのか?」

「ち、違いますよ! ちょっとゴタゴタがあってですね――」

 ブリュールは一息着いてから、「ちょっと長くなるんですけどね」、と前置きして事のあらましを話しはじめた。


To:

ブリュール先生

Subject:

はじめまして

Body:

はじめてメールをお送りします。

ブリュール先生のブログを普段から興味深く拝見し、感銘を受けております。

是非とも直接お話を伺いたいと思いますが、お願いできますでしょうか?


 わたしがブログを開設をしていたのは、卿もご存知だと思います。それでこの前、そのブログを閲覧していたっていう人から「会わないか?」っていうメールが来たんです。

「それで、暇だから会いに行ったと」

あー……はい。

(なんでナイトハルト卿に暇だからとか言われると腹が立つんでしょう……?)

 まあとにかく。チェックポイント・チャーリーの角を折れて、ミッテル通りに入ったところの喫茶店で会おうとのことだったんで、そこに行ったんです。珍しいことに冷房完備のところでしたよ。『この人かな?』っていう人が居たんで手を振ったら案の定でした。

 その人はリーバーさんと名乗りました。本名かどうかなんて知りませんが、なんか感じの嫌な人で、わたしのこと頭のてっぺんから爪先まで眺めたと思ったら眉を顰めるんですよ! 自分だって変に年をとったふうな眼鏡のスーツ姿のくせに、偉そうに軍靴履いちゃって――

「落ち着け、どうせ外見が想像していた感じとは違ったんだろ。俺達には良くあることだ……、それでどうしたんだ?」

わたしはひとまず笑顔で応対して、呼び出した手前でしょう、「飲み物は奢りますよ」って言うから、シュミットの言うアメリカ人の言うところのアイスコーヒーとやらを頼んでみました。ちょっと興味はあったので、良い機会ですからね。ええ、予想通り「アメリカナイズされた馬鹿め」って顔をしてくれました。

「おい」

ちなみにあれはあれで美味しかったですけど、コーヒーだと思ったら負けですね。興醒めですよ。

「おい。お前はアメリカ人の言うところのアイスコーヒーを飲みに行ったんじゃないだろ。本題に入れ、なんで警察まで行くことになったんだ?」

ああ、そうでした。――で、卿はわたしがブログで何を書いていたかはご存知でしたっけ? シュミットには見せたんですけど、ナイトハルト卿にはお見せしてないですよね?

「ああ、知らないな」

 わたくしが生前未完のままにしてしまった原稿の一つに、今日まで読み続けられているものがあります。今となっては加筆訂正や推敲をする気などさらさら起こりませんが、なにぶん内容を勘違いされたままなのは心が痛みます。そこで、現在それを読んでいる人向けに、第三者として解説だとか解釈だとかをブログに書いているのです。シュミットは全然分からなかったみたいですが。

 で、リーバーさんも当然、それを読んで、わたしのブログにアクセスしてくれているわけですから、ちゃんと内容を理解してくれていると思ったんですけど――

「期待はずれだったわけだな」

はい。全然理解してくれてなくて。現在版行されているその原稿を持ってたんで、本文を読みながら、「ここはこういう解釈なんです」とか、「その考え方は著者の意図とかけ離れています」とか詳しく指摘して、出来ればしたくなかったですけど、講釈もしたんですよ。そしたら青い顔をされちゃって。

「は? 『青い顔をされ』た?」

『青い顔』です。多分、ご自分が想像していた解釈とは全然かけ離れ過ぎていて、ショックだったんでしょうね。わたしはよくあることだと思うのですけど、リーバーさんはその『よくあること』が許せなかったのでしょう。いきなり胸ぐら掴まれて、ナイフ突きつけられて、卿の仰った通り逆上されちゃって。当然冷房の良く効いたお店でしたから扉は全部しっかり締まってますし、お店のお嬢さんもナイフが光るのを見ちゃって大パニックですよ。

「――それで?」

えっと、『貴様、アメリカナイズされているくせに金髪碧眼の純正ゲルマン人である私を愚弄するのか』とか脅されました。主張や原稿への解釈からして、多分、ニュースとかでよく聞くネオ・ナチっていう極右の活動家だったんでしょう。頭はスキンヘッドじゃなかったんですけど、軍靴を履いてましたし。警察を呼ぼうにも取り敢えず落ち着いて貰わなきゃいけないと思ったので、鳩尾に一発当ててから転ばせた後、ナイフは預からせていただきました。あ、警察はわたし達の座っていたところの担当のお嬢さんに頼んで呼んで貰いました。それで、しょうがないから代金はわたしが払って、リーバーさんは伸びてるし、わたしも当事者ですから警察に事情説明に行ったんです。わたしは被害者だし、正当防衛ということと、身分とかをちょっとお話しして早めに帰らせて貰えたんですけど――

「そもそも警察がどこにあるのか分からず、結果的に迷子になった、と。そういうことか」

情けないことに、そういうことです。



 「お前なあ!」

ブリュールの事情説明に、俺は思わず叫んでしまっていた。当然、周囲が一気に静かになり、視線がこちらに集中する。ブリュールが冷静に『静かに』のサインをしているのを見て、俺は咳払いをして誤魔化した。周囲が元の喧騒を取り戻したのを確認して、俺は続けた。

「ひとまず、騒動に巻き込まれたのは大変だったと思う。けどな、なんで公共交通機関を利用しないんだ? バスとかタクシーとか呼べば良かっただろうに」

ブリュールは子供のように反駁した。

「だって、車は酔いますし、第一、身内でもない他人の運転なんて信用できませんよ!」

けれど、それは子供の反駁にしては、ごもっともな正論のように聞こえる。

「――全く……」

俺は大きく溜息をついた。

 「けれど、分かって貰えなかったのは残念です」

「え?」

ブリュールが急に言い出すものだから、それに反応しきれなかった俺の口からは、情けない返事しか出なかった。聞こえていなかったと思ったのか、ブリュールが繰り返す。

「だから、リーバーさんのことですよ! 一生懸命に、著者本人が話したのに理解して貰えないって、残念というか、悔しいというか――」

「ああ、そういうことか」

「『そういうことか』、って……あのですねえ!」

ちゃんと聞いていないと勘違いしたのだろう。俺の返事に、ブリュールは今度こそ子供のように拳を振り上げて騒ぎ出しそうになる。俺はその前に、諭すように言う。

「一生懸命話したって、分かるときは分からない。相手が『自分が正しい』と思っている時程な」

「う……」

ブリュールが振り上げかけた拳を引っ込めた。俺は続ける。

「けど、君はきちんと意見を――未完成のままかもしれないが――残したんだ。残したものと、分かりたいと思う者がいる限り、きっと分かって貰える時が来るだろ」

「そういうものですか」

溜息をついて、すっかり冷徹な表情に戻ったブリュールが呟いた。

「さあ? 残すべきものを残せなかった己れには、はっきりとは分からないが、多分そういうものだろう」

  • 初出:2012年8月4日〜5日第13回クリエイターズマーケット無料配布冊子『「」カギカッコ』収録
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