黒山羊塔

伯林攻防戦

 とんだ大ピンチだ。

 王城の大広間に集まっていた者達の誰もが、そう思っていただろう。国を束ねてきた王から、最前線で戦ってきた末端の英雄達まで、頭を抱えて、自分の生きた時代のあらゆる危機にも匹敵する危機に直面していると実感しているのだ。

 戦線は沸いて出た――先の大戦で死んだ者共のエーテルの泥がが残っていたのだろう――兵士達によって急速に追い詰められ、既に首都ベルリンのすぐそばに迫っていた。

 普段ならば、その程度はすぐに対処できた。運命の輪の魔法使いであるルドが、自分のご自慢の契約者達を使役して、敵を片っ端から粉砕してくれるからだ。

 だが今回は違う。何しろ、その肝心のルドがいない。

 「少年はまだフランスにいるのか?」

フリードリヒ二世が、普段からルドに付き添っていたドイツ皇帝のフリードリヒ三世に訊ねた。大広間中央のテーブルのほぼ対角線状に交わされる会話に、一族及び臣下一同から視線が集まる。皇帝フリードリヒは自信なさげに「分かりません」と答えた。

「少なくとも、ボナパルトと共にいるのは確かですが、それ以上は……」

「ヴィリーはどうしている? イギリスの祖母や叔父上とやらに不可侵を直訴しに行ったのではないのか?」

「それもまたはっきりしません。ヴィクトリア女王もまた世界の魔法使いに軟禁されたとか、エドワードも監視下に置かれているなどという噂もありますので」

「あちらに捕縛された可能性も否定できないか」

フリードリヒ三世の向かい側で会話を聞いていたヴィルヘルム一世がうなり声と共に椅子に沈んだ。

 「だいたい、なぜヴィリーも単独専行などやらかしてしまったのだ! 付き添いくらい、ビスマルクは兎も角として、女教皇や剛毅の元から一人や二人引っこ抜いて連れて行けただろうに」

ヴィルヘルム一世が孫の失態を嘆く祖父の如く喚く。それを見て苦々しげに、フリードリヒ三世が後ろに立つ臣下達に訊ねた。

「あれからは何も言われなかったのか?」

急に矢面に立たされた臣下達はにわかに騒ぎ出した。女教皇の陣営の群れの中にいたホルシュタインが毅然として言う。

「陛下からは一言もございませんでした」

「本当か?」

「もし何かありましたら」

と、フリードリヒ三世からの追及に答えたのはビューローだ。

「先帝・先王陛下達、ビスマルク候やゲルラッハ侍従武官長にもお伝えします。悔しいですが、我々の力だけで事態をひっくり返すことは不可能なことなどは百も承知です」

 ホルシュタインとビューローの後ろではヘルベルトとオイレンブルクが苛立った様子で歯を食いしばったり腕を組むなどしている。

 ビューローの悔しさ滲む悲嘆に「むう」と唸って、ヴィルヘルム一世が背後に控える剛毅陣営の一人、大モルトケに訊いた。

「そちらにも何もなかったのか?」

モルトケは椅子に座る皇帝に合わせるように少し屈んで答える。

「陛下の忠実なる臣下、そしてヴィルヘルム二世陛下の侍従武官として、一言もご相談の類はなかったという事実を申し上げます」

「そうか……」

ヴィルヘルム一世の溜息と共に、また広間が気まずさと焦燥の沈黙に包まれた。

 そう思われたが、すぐにそれを防ぐ声があがった。「畏れながら」というその声は、ヴィルヘルム一世の斜め後ろ、爪を噛みまくっているフリードリヒ・ヴィルヘルム三世の背後から聞こえた。――ヘルマン・フォン・ボイエンだ。

「こうしている間にも、敵の軍勢はじりじりとこちらに迫っているはずです。魔法使いや皇帝陛下の不在を嘆くよりもまず、対抗手段を考えなくてはならないのではないでしょうか」

 フリードリヒ・ヴィルヘルム三世の爪が、がり、という音を立てた。

 ボイエンは続ける。

「この程度の危機、我らが生きている間にも一つや二つはあったはずです。その解決に必ずしも魔法使いの力は必要だったでしょうか? そうではなかったはずだ!」

「そうです、陛下」

ボイエンに賛同したのは陣営の後ろにいたグナイゼナウだ。彼は将校団をかき分けて前へ出ると、知らん顔で爪を噛み続けるフリードリヒ・ヴィルヘルム三世に話しかけた。

「これはもはやプロイセンの危機ではありません。ベルリンは今やドイツの首都、これは全ドイツの危機です」

ボイエンは王達の座るテーブルを挟んで向かい側にいる女教皇陣営の中にいたフンボルトに呼びかける。

「ドイツ国内の他の魔法使いに応援を要請しよう。バイエルンやエッセン、ドレスデンも余裕のあるぶんを割くように」

「確かにじっとしているのは外交官としても受け入れ難いが」

フンボルトが小さく首肯する。

「ならばリュッツォウにも出撃を命じよう。少しくらいなら耐えられるはずだ」

グナイゼナウがボイエンに言う。

 しかしここまでだった。ばん! とテーブルを両手で叩く音と共にフリードリヒ・ヴィルヘルム三世は立ち上がって叫んだ。

「黙れ!」

普段の王からは想像できない怒号に、盛り上がり、エスカレートしていた軍議は止まった。フリードリヒ・ヴィルヘルム三世は憤って、自分の側に立つボイエンとグナイゼナウ二人に代わる代わる言い放つ。

「何を勝手に軍議を進めている! 王は私だ! 私や他の家族に断りもなく、勝手に物事を進めるな!」

「しかし陛下……」

「ええい、黙れボイエン!」

王に沈黙を命じられた軍事大臣は、不満げに口を閉じた。そんなボイエンの代わりに口を開けたのはグナイゼナウだ。

「ですが陛下、敵の接近と破壊活動により、このエリュシオンはおろか、生者達の世界でも各インフラは打撃を受けています。ボンとで首都機能は折半されているとはいえ、このままではドイツ全土に影響が……」

「貴殿もいい加減にせよ、グナイゼナウ!」

グナイゼナウの警告すらも、王は遮って叫ぶ。

「何がドイツだ! 外は知らんがここはプロイセンだぞ!!」

「ですが」

「両名黙れ! 回れ右!」

二人は互いに目を合わせると、呆れと諦めの混じった表情で王の命に従い、群れの後ろへ下がった。

 「しかし」

自分の前にいた二人の将軍が下がっていくのを見ながら、フンボルトは呟く。

「この事態に身動きできないまま、敵を放置というのはやはり辛いな」

彼は自分の横に立つ、自分の陣営の後輩達を見た。彼らもまた、先輩たるフンボルトのほうを見ている。

「其方ら、此方達にもまだできることがあるとは思わないか?」

「もちろん思いますよ」

そう言ったのはビューローだ。

「今ベルリンに迫っている敵は今まで鳴りを潜めていたエーテルのドロドロなのですから、本命はまだ遠くにいるはずです。もしかしたら、出撃すらしていないかも」

「そうなれば、此方達にもまだ活躍の余地はあるわけだ」

「ええ」

ホルシュタインも同調する。

「少なくとも、次に来るであろう第二波、第三波を妨げることはできるでしょうね」

「外交手段によって!」

言葉が重なり、三人は少し嬉しそうに口元を緩めた。

 そこへ、未だに眉間に皺を寄せたままのヘルベルトが割り込んだ。

「でもまだ問題はある」

割り込んできたヘルベルトの顔を見て、ビューローの口元はまた元の緊張を取り戻してしまった。腕を組んで「そうなんだよなあ……」とぼやく。

「交渉に乗り出すには情報が少なすぎる」

ヘルベルトに続いて、オイレンブルクも前に出た。

「それに、皇帝陛下の行方も気になります。先程先帝陛下が仰ったことが正しければ、イギリス側に捕らえられた可能性があります」

「しかしそれは確定事項じゃない」

ホルシュタインがオイレンブルクの言葉を否定する。

「単なる噂でしかないだろう」

「しかし、本当にあちらに捕らえられていたら」

 「とにかくだ!」

エスカレートしそうになった口論を遮ってフンボルトが言う。

「とにかく、先に情報収集だ。鉄血宰相と同じ轍を踏むわけにはいかない。皇帝陛下の行方も調べなくてはお救い申し上げることもままならない。そもそもここで無知をやりとりしている暇もない……分かるな?」

彼の言葉に、後輩達は渋々、首を縦に振った。それを確認すると、フンボルトは「よろしい」と言い、話の輪から抜けて前に進み出た。

 「畏れながら申し上げます!」

挙手して発言権を求めるフンボルトに、許可を出したのはすぐ近くに着席していたフリードリヒ・ヴィルヘルム四世だった。

「何かね?」

「はい。我ら女教皇陣営、もしくはヴィルヘルム街の住人の提案事項と致しまして、まずは情報収集をさせて戴きたいと思います! 今失踪中の魔法使いの所在、あちら側の目的等々、あやふやなままでは手足を出しても、してやられるままです」

フリードリヒ・ヴィルヘルム四世は黙って聴いている。テーブルの向こう側に座っているフリードリヒ・ヴィルヘルム三世、ヴィルヘルム一世も黙って聴いていた。フンボルトは続ける。

「幸いにも、我らが陣営には魔法使いが健在です。エフェメラ能も安定して扱える状態にあります。是非、我らに仕事をさせて戴きたい」

「しかし」

と口を挟んだのはフリードリヒ・ヴィルヘルム三世だった。

「外へ出るにしても、泥とやり合うには実力不足ではないか?」

それに答えたのはビューローだ。

「ご心配なく、陛下。我らの半分は私も含めて従軍経験がございます。圧倒するほどの実力はないにしても、間を抜けて逃げる程度ならできる自信があります。フンボルト男爵やホルシュタインも多少の無茶なら可能でしょう」

 この言葉には、横で聞いていた名指しされた二人も、思わず目を反らした。

 ビューローの言葉をつぐように、オイレンブルクも王達に上奏する。

「皇帝陛下の行方についても、お救いできるよう尽力致します。後に軍が遺憾なく力を発揮できるよう、働く所存です」

 彼らの言葉を聴いた三人の王は顔を見合わせた。小さな沈黙の後、最初に言葉を発したのは発言を許可したフリードリヒ・ヴィルヘルム四世だ。

「分かった。行って来給え」

彼の言葉に、フンボルトは再び口元を綻ばせた。

「ありがとうございます!」

「心してかかるように」

そう言ったフリードリヒ・ヴィルヘルム三世の後に続いて、ヴィルヘルム一世がフンボルトよりも若い外交官達に向かって言う。

「我が孫のこと、頼んだぞ」

初出:2016年5月 ツイッター上にて