電話越しに聞くルドの声は酷く機嫌が悪そうだった。
「――今何時だと思ってる……」
地を這う泥のような声のルドに、ジギは相手の状況など知ったことではないような、はっきりとした声色で応える。
「午後二十六時だ、ルド」
ジギの返答にルドは苛立ちを募らせる。
「英国訪問に王室の方々との面会を終えた深夜に電話を鳴らされる身にもなってみろ」
「それについては申し訳ない。しかしルド、時差的に考えればこちらのほうが時間は進んでいる。それに、私もいい加減就寝時間なのに面倒事を起こされて腹が立っているのは一緒だ。話を聴いてくれても良いと思うが?」
ルドは、ジギは今ホルシュタインの口調を真似ているのだと思った。きっぱりとものを言う口調と声の様子が刺さるように感じるのだ。
彼は「ヴヴ〜」と低く唸って、渋々、
「分かった」
と言った。
ジギはルドの言葉に一つ息をつくと、彼に訊ねる。
「ではルド。比較的良い知らせと悪い知らせ、どちらから聴く?」
ルドははっきり返した。
「相手にものを知らせる時は、悪い知らせを優先するものだ」
「ほう! なら悪い知らせを申し上げよう」
ジギは短く息を吸って言った。
「ヴィルヘルム二世陛下がルートヴィヒ二世陛下に拉致された」
「は?!」
この知らせでルドの眠気は完全に吹っ飛んでしまったようだ。普段通りの、昼間の光の中にありながら消えない闇のような、どすの利いた声で彼はジギに訊ねる。
「冗談じゃないのか?」
「菩提樹に誓って冗談じゃない」
ジギも負けじと言い放った。
その後ろで、死んだように――という言葉を、既に故人である人間に使うのも可笑しいが――ベッドに横たわるヴィルヘルム二世を、男達が取り囲んでいた。ベルリンの〝女教皇〟の魔法使いの契約者達と、ルートヴィヒ二世が契約するミュンヘンの〝戦車〟の魔法使いであるリヒャルト・ブッフホルツだ。
「ヴィルヘルム陛下……?」と小さく呟いたきり突っ立ったままのオイレンブルクの隣で、ベルンハルト・フォン・ビューローが屈んで皇帝陛下の検視をしている。
「血の痕は?」
そうビューローに訊ねたのは、検視の様子を観察していたホルシュタインだ。彼の質問にビューローが答える。
「全く見当たりませんね」
言いながら、皇帝陛下の胸元に触れたビューローは眉間に皺を寄せた。ホルシュタインがビューローに目をやる。
「何か?」
「ちょっと不気味なものに触った気が――」
そう言って、ビューローはヴィルヘルム二世の軍服の胸元に手を掛け――ようとして、躊躇った。隣で棒立ちになっている親友を見る。
「オイレンブルク――」
フィーリプ・ツー・オイレンブルクは血の気の引いた青ざめた顔で、ぼんやりと皇帝陛下の表情を眺めているようだった。本人の主張によれば何も――主君と臣下であること以外には――関わり合いのない関係だが、しかし皇帝陛下を大切に思っていた彼にとっては衝撃的な出来事だったのだろう。視線がちゃんと皇帝陛下を見ているかすら、怪しく見えた。
ビューローはそんな様子のオイレンブルクに呼びかける。
「オイレンブルク!」
「は」
オイレンブルクはびっくりしたのか、一瞬飛び跳ねたように見えた。ビューローのほうを見下ろして言う。
「な、何……?」
挙動不審な様子のオイレンブルクに、ビューローが訊ねた。
「陛下の着衣を脱がしてみても良いのかな?」
「は?」
今までのジギやビューロー達の話を聞いていなかったのだろう、彼は信じられないとでも言いたそうな表情で聞き返した。
「正気かビューロー?! まさか陛下の、ちゃ――着衣を脱がそうだなんて――」
「いや、全く以て正気だけど――」
オイレンブルクの狼狽えっぷりを見たビューローは、後ろにいるホルシュタインと顔を見合わせる。
ホルシュタインはすぐにオイレンブルクに向き直った。相手を鑑定するかのように見据えて、ホルシュタインは言う。
「今までの話を聞いていなかったようですね、侯爵」
ホルシュタインの言葉に、オイレンブルクは顔を顰めた。
ホルシュタインは溜息をついて、背後でルドと殴り合いのような語気で電話をしているジギのほうを振り返る。
「ジギ!」
声を掛けられたジギは、一瞬ホルシュタインに視線をやると、電話の相手に一言断りを入れてから答えた。
「ホルシュタイン、何か?」
自らの呼び掛けに自らの口調で答えるジギに、ホルシュタインは訊ねる。
「皇帝陛下の検視をしていたところだが、ビューローが何か違和感を感じたらしい。しかしそれを確かめるには陛下の着衣を一旦脱がせる必要がある」
「なるほど」
ジギはそう言うと、「ルド」と電話相手を呼んだ。
「ルド」
『何だ?』
「ヴィルヘルム二世陛下の脱衣の許可を戴きたい」
『はあ?』
流石に電話越しのルドも事態が掴めていないらしい。
『あの元皇帝陛下は狂王様に拉致られたんだろ? 何でそこに元皇帝陛下の御身体があるような言い方をするんだ?』
聞き返すルドにジギは言う。
「御身体は確かにここにある。が、しかし間違いなく拉致されている」
ジギの言葉に、彼の契約者達も傾聴していた。彼は構わず続ける。
「強いて言えば、『意識を連れ去られた』という表現が一番近しい。ここには確かに御身体があるが、意識はここにはない――今、彼の意識は〝幕〟の向こうにある。この世であってこの世でない、我らと彼らを隔てる壁の向こう――例えば夢の中に」
ジギの説明を聞いたルドは『ふうん』と声を漏らす。
『まあ、別に着脱衣がどうとかはやっちゃってもいいけど――』
「ホルシュタイン! 皇帝陛下の脱衣の許可が下りた」
ルドの言葉に、ジギは間髪入れず彼の言葉を自らの契約者達に伝えた。受話器から呆れた様子のルドの声が聞こえたが気にしない。ホルシュタインが首肯して応える。
「承った」
ホルシュタインは即座にビューローに目配せする。ビューローは思い切って皇帝陛下の着衣の首元のボタンに手を掛けた。だが、その手を制止しようとする者があった。オイレンブルクだ。
「だから、待て!」
ビューローの視界を遮るようにオイレンブルクが身を乗り出す。
「皇帝陛下の身辺のことを、契約先であるとはいえ魔法使いの許可一つでどうこうして良いものか?!」
「くどいですね侯爵」
オイレンブルクに応じたのはホルシュタインだ。先程よりも強い語気で、しかし静かにオイレンブルクに迫る。
「許可はとうに出た。それでも駄目なら今ここにある御身体に向かってしますか? 後で意識を取り戻された折に事後報告でも良いでしょう? それとも、ここで皇帝陛下の御身体を見られたくない理由でも?」
「私はただ――!」
「皇帝陛下!」
と、ビューローがなおもホルシュタインに論駁しようとするオイレンブルクの言葉を遮って叫んだ。思わず言い淀むオイレンブルク。その隙にビューローはヴィルヘルム二世の着衣のボタンに再び手を掛けた。
「皇帝陛下の誇りを汚す不敬極まりない行為を働くこと、大変申し訳なく!」
そう言いながら、その手は器用に皇帝陛下の上着のボタンを外し、前を開かせる。続いて白いシャツのボタンに取り掛かった。
「このベルンハルト・フォン・ビューロー、必要とあらばこの首を陛下の足下に差し出す所存であります故、お許し戴きたく存じます!」
言っている間に、上着と同様にシャツのボタンは外され、皇帝陛下の胸元が皆の前に露わになってしまった。
自分の行いを恥じてか、玉体から顔を背けて壁に張り付くビューロー。逆にオイレンブルクは眼前に晒されてしまった皇帝陛下の御身体を見、どこか安堵した表情を見せた。
だがそれも束の間だった。ヴィルヘルム二世の胸の真ん中にぽっかりと穴が空いて、しかもその空間に収まるはずのものが無くなっていたのだ。オイレンブルクはまた自分の顔の凍り付くのが分かった。
「心臓が無い」
と口に出したのは、ミュンヘンの〝戦車〟の魔法使いにずっと銃を突き付けているヘルベルト・フォン・ビスマルクだ。
「おい、ブッフホルツ」
ヘルベルトが表情一つ変えず、リヒャルト・ブッフホルツの下顎に突き付けている銃の安全装置に指を掛ける。
「どういうことだ? 我らが皇帝陛下の大事な大事なところがお出かけなすっているんだが」
「いや、だから、全て言った通りに御座いまして――」
先程から冷や汗の止まらない、哀れな魔法使いがヘルベルトの問いに答える。だが鉄血宰相の息子はその程度の答えで満足するはずは無かった。ヘルベルトは警告がリヒャルトに伝わるよう、銃口を顎に押し付け、安全装置をがっちんと外す。脳内に響き渡る恐怖の音に、リヒャルトは「ひぇっ?!」という情けない声を上げた。
「俺、魔法とか魔術とか分からないから。トーシロさんにも分かるように易しくはっきり教えて」
ヘルベルトの脅迫に、哀れなリヒャルトが悲鳴を上げるように言った。
「ルートヴィヒ二世陛下が! バイエルン王ルートヴィヒ二世陛下がヴィルヘルム皇帝陛下を御自らの夢の世界にご招待遊ばされたので御座います! 夜の世界に! 夢の世界に! 伝説と神話で出来た、王の昼の世界に!」