黒山羊塔

ヴィルヘルム二世の帰還

 ――途端、俺の予測通りとは言え、突然にそれは現れた。

 荒々しい、露骨な波音を掻き分けて出てきたそれは、現代の認識から言ってもでかい艦だった。しかし、現代の軍艦のスタンダードと言える航空母艦や、ドイツなどが保有するイージス艦と比べて、艦橋と主砲副砲のシルエットのせいで、その船体は刺々しく仕上がっている。

(これは分かりやすいな……!)

俺は思わず苦笑いを浮かべざるを得なかった。俺の後ろに控えていた歴戦の軍人達は、思わぬ敵の姿に息を飲んでいる。艦を操るヴィルヘルム二世は、その敵の姿に戦いてさえいる。

 それはそうだろう。俺達の乗る艦の進路を塞ぐこの敵の姿は、あの海運国家、その昔は七つの海を支配した大英帝国が誇る戦艦、〝ドレッドノート〟そのものだ!

 「まさか――」

ヴィルヘルム二世は目を見開いて、しかし呆然とその姿を見ている。

「イギリスが、出しゃばって来るとは――」

「違う!」

俺は元皇帝に向かって叫んだ。

「これは〝ドレッドノート〟の形を模しただけの敵だ! それより、早くこの艦の航路を変更しないと――」

ぶつかるぞ、と元皇帝に言う前に、俺の言葉は轟音に呑まれた。〝ドレッドノート〟の砲口がこちらに対して火を吹いたのだ。俺達の艦を破壊し損ねた砲弾は、艦のすぐ横を飛んで行き、水柱をぶち上げる。

「っち――」

俺は舌打ちし、踵を返す。一瞬遅れて我に返ったヴィルヘルム二世が、既に背を向けた俺に質問を投げた。

「何処へ行く?」

俺は振り返りもせずに答える。

「艦橋だ! この艦の航路を変更して引き返させる」

「いや、無理だ」

ヴィルヘルム二世は不安に顔を歪ませている。

「この艦は砲撃を受けている。今引き返そうとすれば、良い艦砲射撃の的となるだろう。……どっちみち、この艦も一度死んだ身だ。どうせ舵も効かぬよ」

 (ああ、こういう人だった)

俺は奥歯を噛み締めて思った。

 オイレンブルクから聞いていたことは本当だったのだ。陛下は危険を犯すことを好まない方だ、普段の態度はただのポーズのようなものだ、と。

 けれど、この場面ではそんな悠長なことは言っていられない。敵はこちらの進路を塞いで、ばんばん撃ってきている。どこぞで、出来たてホヤホヤの日本海軍がロシアの博物館艦隊を海の藻屑にしてやった話を聞いたが、今がそんな状況なんだろう――こっちが海の藻屑と消える役回りだが。

 (最悪だ)

俺は心の中で毒づいた。

(死人の下らない都合で死人になりたくない)

 不安顔の廃帝を睨めつける。その廃帝が他人事のようにこちらを見た。

「……なんだよ」

「貴様、我がドイツ海軍の三〇センチ砲はイギリスの砲よりも強いことを信じるか?」

突然に訳の分からないことを言い出すヴィルヘルム二世。俺は首を傾ける。

「何言っちゃってんの、元皇帝陛下」

元皇帝陛下は不安顔ではあるが大真面目な目をして続けた。

「こちらに勝算があるならば、それに賭けるかと訊いている」

 ――本当に、何を言っているのだろう? もうこっちがデイヴィ・ジョーンズのロッカーに閉じ込められる算段が出来上がっているのに、勝算なんてあるものか。

(頭狂っちゃってんじゃねーの?)

 ――と、思ったが、こうとも考えた。いや、この狂ったような元皇帝陛下だからこそ、勝算のある作戦が浮かんだのではないか? と。

 どっちにしても、勝算があるなら掛けなければならない。ぶっちゃけ、死人と、しかも女性でもとびきりの美人でもない奴でもない死人と心中なんて、これが世界の終わりであっても御免被る。俺は言った。

「その勝算とやらがどんなのか知らないけど、あるなら掛ける」

 その言葉を肯定と取ったらしいヴィルヘルム二世は、その口端を無理矢理吊り上げ、〝ドレッドノート〟に向き直り、号令を発した。

「我がドイツ帝国海軍擁するカイザー級戦艦二番艦、戦艦〝Friedrich der Große〟に命ずる……!」

その時、地が轟、と揺らいだ。俺達の乗る戦艦〝Friedrich der Große〟が、彼の声に応えるように打ち震えたのだ。ヴィルヘルム二世は続ける。

「取舵一杯、左舷の碇を降ろせ! 航路を左へ、旋回するぞ!!」

俺がその命令に疑問符を発する前に、鉄塊が海底へ勢い良く降下していった。どん! という、ぶつかるような衝撃を感じ、俺やヴィルヘルム二世を含めた皆が身を屈める。途端、でかい鎖が艦をガリガリと削る音と共に、艦が傾き始めた。

 「クッソ元皇帝――」

まじかよ、とか嘘だろ、とかは言えなかったが、やはり言いたかったのは、

「こんな知識、何処で見た……?!」

   *

 ざばあ、と荒れ狂う北海の荒波を切り裂いた水飛沫と共に、戦艦〝Friedrich der Große〟は自身を振り回すかの如く、ぐわんとドリフトした。もちろん乗船している俺達も、一緒に勢い任せに遠心力であわよくば投げ出されるかと思ったが、勿論、艦長であり提督たるヴィルヘルム二世はお構いなしだ。彼もしゃがんで勢いを凌いではいたものの、口元には尊大で狡猾な笑みさえ浮かべている。

(危険は犯したくないんじゃなかったのか?!)

俺は心中、批判をしたかったが、既に敵に向かって主砲を構えつつあるこの状況で、そんな文句を言うことは出来ない。

 かつての祖国を崩壊させた廃帝は、ついにその口から「くっくっく……!」と声を漏らした。俺は横目に、アメリカのSF映画顔負けの軍艦ドリフトを凌ぎ切ったヴィルヘルム二世が艦橋を背に立ち上がるのを見た。がくがくと震えているのは、艦の揺れと、生前からの半身の障害によるものだろう。だが、堂々とした立ち姿からは、今では畏れと頼もしささえも感じられる。――彼の辿った運命から察せられる不安は、この際押し殺してしまおう。

 「これは良い、これは良い敵と出逢ったものだ! まさか死後に出逢うとはな、何故生前に出逢えなかったものか! 惜しい、実に! 惜しい!!」

荒波の立てるノイズの間に、そんな台詞を俺は聞いた。この皇帝は本当に勢いだけが取り柄のような人ではあるが、ここまでくると不安が顔を覗かせる。だが今は仕方ない。もう主砲の斜角は決まっていたし、なによりも皇帝陛下の勢いだけが頼りだ。元ドイツ皇帝であらせられるヴィルヘルム二世陛下の右手が得意気に挙げられ――

「戦艦〝Friedrich der Große〟、主砲斉射――」

敵を叩き斬るかのような勢いで、振り下ろされた。

「始めえええええッ!」

 ――――プロイセン王と魔法使いの契約は、初代のプロイセン(における)王であるフリードリヒ一世とブルクハルト・ローゼンクランツに端を発する。

 当時のドイツは未だ魔女狩りの真っ只中であった。しかしおかしな事に、欧州諸国の王侯貴族の間では、魔法使いと契約することが流行していた。

 即ち、魔法使いと契約することにより、魔をも従える強い力を神より授かったという証となるという。自分の家系に箔が付くという訳である。

 対して、契約される側の魔法使いにしてみれば、国家の支配者である王と契約することにより、国家から直々に庇護を受けることが出来る。弾圧を受ける側としては、王との契約は願ってもない好機であろう。

 しかし多くの場合、契約は互いに困難を極める。

 まず、王の側が契約相手を探そうにも手段を選ばなければならなかった。目立ったことをすれば――「魔法使いと契約を望んでいる」ということが漏れただけでも――契約相手どころではなくなる。捕縛とそれに続く処刑を恐れる巷の魔術師は蜘蛛の子を散らすように逃げる、ヴァチカンから異端審問官が飛んでくるということもあった。運良く候補の魔術師を見つけることが出来ても、そのような魔術師は家系に箔をつけるどころか泥を塗るだけの、礼儀も技術すらもない詐欺師であることもままあることだったようだ。

 このプロイセン王と魔術師であり刑吏であったブルクハルト・ローゼンクランツの契約はまさに幸いであったとしか言いようがない。

 (中略)

 この契約を境に、ブルクハルト・ローゼンクランツは「ベルリンの〝運命の輪〟」の称号を持つ魔法使い、ブルクハルト・ヘンカー・フォン・ローゼンクランツとしてプロイセン王に仕えることとなった。彼の子孫もまた、第一次世界大戦によってドイツ帝国と共にプロイセン王国と王家がその地位を失うまで歴代のプロイセン王に代々仕え、第二次世界大戦後のこんにちも、ドイツにおける魔法使いの頭取として活動している。

――――ヴェン・アーベントロート「プロイセンにおける魔術師史」より

  • 初出し:2014年 ツイッター上にて